スクール長ダイアログ <価値と共創②>
9月28日 神戸大学V.School長 國部克彦
プラハラードの「経験」を議論する前に,時代を80年ほど遡り,ジョン・デューイの「経験と教育」から,「経験」の意義を考えてみましょう。デューイは20世紀前半を代表するアメリカの哲学者で,プラグマティストとして哲学を体系化した大変著名な学者です。教育に関しても多くの著作があります。最近は再評価が世界的に高まっており,東京大学出版会からデューイ全集が刊行中です。幸いにも「経験と教育」は講談社学術文庫から出版されていて,150ページ程度で760円と格安なので,是非,皆さんも読んでみてください。ちなみに,JTプロジェクトの第1回目の講義で,講師の方がこの本を紹介したのを覚えている人もいると思います。
デューイの「経験と教育」は,「第1章 伝統的教育対進歩主義的教育」から始まります。難しそうに見えるこのテーマも,今の言葉で置き換えれば,「詰め込み式教育対総合的教育」と言い換えることができます。80年前のアメリカが舞台ですが,議論は,総合的学習をめぐる日本での議論と本当に酷似しています。デューイは「進歩主義的教育」の立場から議論を展開するのですが,「思考力を伸ばすことが大切」などという安易な主張は決してしません。ちなみに,「生徒の思考力を伸ばすことが大切」なんて声高に言う人は,ほとんど「思考」していないことが多いので注意が必要です。思考力を伸ばすには,何が必要か,この点をとことん考えないといけません。したがって,デューイは「詰め込み型教育(伝統的教育)」も完全に否定するわけではありません。
重要なことは,教育をどのようにすれば,生徒能力を伸ばすことにつなげられるかです。そこで,デューイは生徒の「経験」に注目します。生徒の経験こそ,生徒が習った学科目の知識を生徒の能力の向上に結び付ける最良の方法であることを,主張します。タイトルが「経験と教育」なのはこのような理由です(経験が教育の前にあることに注意してください)。ここまでが理解できれば,どのように学科目の内容を生徒の経験に結び付ければよいのか,生徒の経験を教師はどのように指導すればよいのか,教材はどのように組織化すればよいのかいう話になり,デューイはこれらの点について丁寧に説明していきます。
具体的な内容については,デューイの本を読んでいただきたいですが,特に重要なことは,経験とは,動的な(時間的な)現象であり(デューイは「経験の連続性」と呼びます),経験することで,その経験がなされる客観的な条件が変わり,経験そのものが変化すると認識することです。デューイはこの点こそ,教育者が指導しなければならない側面であることを強調します。そのためには,指導者は経験の質が評価できなければなりません。経験の質を評価するためには,指導者は生徒に共感する必要があります。これらはすべてデューイの本に書かかれていることなのですが,デザイン思考の本質と非常に類似していることに気づかれることでしょう。
デューイが経験を重視するのは,彼の思想であるプラグマティズムに裏打ちされています。プラグマティズムは実践の中に真理を求めると以前に説明しましたが,経験は実践そのもので,そこにしか真理はないことをデューイは主張しているのです。しかも,経験は個人的なものではなく,経験の対象が社会的から与えられ,経験が社会を形成する以上,「人間の経験はすべて究極において社会的な事実」なのです。価値創造に話を戻せば,経験こそ価値が創造される場ということになります。プラハラードの価値の共創も,経験という概念が鍵を握ります。
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