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スクール長ダイアログ <大阪市住民投票から価値について考える③>

11月7日 神戸大学V.School長 國部克彦

 ここまでの話をまとめれば,いわゆる「大阪都構想」の本質は,「分からないなら改革しましょう」という意見と,「分からないなら現状を維持しましょう」という意見の対立であって,大阪市を廃止して二重行政にしたらどれだけ経済成長するかとか,大阪市を廃止するのにどれだけコストがかかるかなどの価値に関する計算は,自らの政治的姿勢を正当化する方便に過ぎないものということでした。未来の計算は,それが計算である以上,この「方便」の要素を必ず含むものなので,皆さんも,今後はどのような計算も簡単には信じないようにしてください。
 そのうえで驚くべきことが2つあります。ひとつは,「分からないから改革しましょう」と「分からないから現状を維持しましょう」の対立であれば,普通は現状維持が圧勝するはずですが,それが極めて僅差であったことと,もう一つは極めて僅差ではありますが,この結果は5年間でほとんど変わらなかったことです。それぞれの意味をもう少し考えてみましょう。
 「改革」に対して,「現状維持」の方の支持が大きくなる傾向は,「現状維持バイアス」などと呼ばれることもあるようですが,人間にとっては「改革」の方が不自然な行為ですから,私はむしろ「改革バイアス」と呼ぶ方が良いのではないかと思います。前回も書きましたが,組織では,企業でも政府機関でも「改革」が合言葉のようになっていますが,家庭で「改革」しようという人はまずいないと思います。人間の日々の生活では,「変わらない」ことが最上の価値だからです。それは,「お変わりございませんか」という時候の挨拶からも明らかでしょう。なぜなら,人間は生命体である以上,時間の経過に伴って,必ず「変わってしまう」ものだからです。その変化は,若いうちは「成長」と呼ばれますが,20代も半ばを過ぎれば「老化」になるので,人間はなんとかそれを見ないふりをして,本当は「変わっている」のに,「変わっていない」と思い込むことで,安心しようとしているのです。だから,「変わらないこと」が,家庭という日常生活では最上の価値になるわけです。
 一方,組織は人間ではありませんので,意識的に変化させないと,変わることができません。有名な「ゆでガエルの原理」の比喩(水がじわじわ熱くなるとカエルはそれに気づかずに死んでしまうというたとえ)のように,組織には常に変化に抵抗する傾向があるので,必要がなくても危機感をあおって「改革」することが必要と考える人は多くいます。また,それが本当に組織のためであれば良いのですが,リーダーの権力を強化するために,不必要な改革を進めるリーダーも後を絶たないので注意が必要です。部下に改革を指示すれば,部下は外部ではなく,内部に目を向けることになりますから,それだけ統制しやすくなります。このことは,「大阪都構想」が,実は一種の権力闘争であったことからも,理解していただけるのではないでしょうか。
 このように考えれば,単なる組織の論理にすぎない「改革」を,日常生活のレベルにまで持ち込んで,投票で決着をつけようとした「大阪都構想」は,本来「現状維持派」の圧勝に終わるべき問題のはずでした。それが,本当に僅差でしか勝利できなかったことは,「改革バイアス」が相当浸透してしまっているか,大阪市の現状がそれほど悲惨なものなのかのどちらかとしか考えられません。しかし,後者ではないことは,投票結果が出てからの大阪市民の平穏な生活を見れば明らかと思います。そうすると,「改革バイアス」は日本人の精神の相当深いところまで浸透してしまっていることになり,私はそこに強い危機感を持つと同時に,それでも2度も僅差とはいえ現状維持派が勝利したことに,生命体としての人間の本質を感じるのです。後者が,人間にとって,より根源的な価値であることは明らかと思います。



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