スクール長ダイアログ <SDGsの価値②>
10月7日 神戸大学V.School長 國部克彦
SDGsの個別の目標(貧困の撲滅,飢餓の撲滅,教育の普及,ジェンダーの平等,気候変動対策,海や陸の豊かさを守る等々)は,どれも非常に重要で,それを率先する組織は評価されるべきです。ただし,これらの目標を国連が17個まとめて定める意味はどこにあるのかということが,このコラムの問題意識です。前回は,SDGsは以前から同様の活動を行っていた組織には追加的な意味はほとんどないことを見てきましたが,それではSDGsをやっていると強調している組織は,なぜ一生懸命にアピールするのでしょうか。当然それはSDGsの本来の目的とは別のところにあると考えなければなりません。それには大きく2つの要因があると考えられます。
ひとつは予算の獲得です。SDGsは国連のイニシャティブであり,国連は世界的な資源の再配分機構でもあります。先進国と途上国の格差の解消が大きな目的で,そのために巨額の資金を先進国から途上国に回してきました。SDGsの前身のプロジェクトMDGs(Millennium Development Goals)は途上国支援のためのイニシャティブでした。SDGsでは,それが全世界に拡大されたのです。SDGsにも当然巨額の予算がついていますから,予算の獲得を目指して,多くの組織が動いています。SDGsは国家の目標ですから,行政組織はいろいろなプログラムを展開していて,当然そこには予算がついています。NGOは,SDGsを強調しないと言いましたが,予算獲得目的が出てくると話は変わります。
もうひとつの要因は,イメージの向上です。SDGsの17の目標はいずれも世界が直面している危機です。貧困の問題にしても,ジェンダーの平等の問題にしても,環境問題にしても,その原因が経済活動に求められることが多いです。経済の発展によって,格差は広がり,環境は破壊され,ジェンダーの差別は固定化されるというのは,言い古された主張ですが,根拠がないわけではありません。その元凶と目されやすい企業は,そのようなイメージを払拭するために,SDGs活動を実施していることを強調し,サステナビリティ報告書にSDGsのロゴをちりばめ,経営者はSDGsのバッチを胸につけているという側面があります。しかし,あくまでも対外的な企業イメージが重要なので,会社を代表するわけでもない一般社員までは浸透していないわけです。
もちろん,予算獲得のためであっても,イメージ向上のためであっても,SDGsに取り組んでいることをアピールすることは悪いことではありません。むしろ,世界における根本的な問題の存在に気付かせる重要な役割を担っています。しかし,実際にやっていることがSDGs制定以前から変わっていないのであれば,SDGsの効果はほとんどないと言ってよいでしょう。そもそも,SDGsは,貧困や飢餓の撲滅のような個別の目標にこそ意味があるわけで,それらをまとめてSDGsと呼称しても,それだけでは何の意味もないことは,誰でも少し考えれば分かるはずです。しかも,SDGsは国連およびその構成国家の目標であって,民間組織の目標ではありませんから,企業や大学には何の責任もなく,途中でやめても誰からも批判されません。
それではSDGsはただの資金再分配のためのイニシャティブなのでしょうか。もちろん,SDGsの各目標には固有の重要な意味があります。しかし,それを17個も集めた全体としてのSDGsに意味はあるのかという問いです。これまで私はSDGsにやや批判的な議論を展開してきましたが,2020年の現在,SDGsしか世界を救うことはできないのではないかと思うほど,重大な価値がそこにあると考えています。
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