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愛するクラブがくれたもの【17】

V・ファーレン長崎を愛するサポーターの方からお話を伺い、応援することで得たもの、楽しさを多くの人に広める「愛するクラブがくれたもの」。
第16回は「KYOさん」よりいただいたお話です。

現在、長崎に住むKYOさん。
V・ファーレンが大きなきっかけでした。

※サムネイルの画像は、KYOさん提供のもの。


サッカーを初めて観たのは読売サッカークラブvs日産自動車

自分は東京の多摩市育ちで、元から長崎に縁があったわけではありません。
サッカーを初めて観たのは小学生の頃。

JSL(日本サッカーリーグ。Jリーグの基礎となったリーグ)の読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)vs日産自動車(現・横浜F・マリノス)でした。

当時は読売クラブが好きで観に行ったのですが、どちらも日産自動車の選手だった木村和司さんのゲームメイク、水沼貴史さんのチャンスがあれば抜け出すプレーを観て、小学生ながらに圧倒されたことを記憶しています。

この試合を始まりとしてサッカーが好きになり、そこから親父の会社である富士通サッカー部(1997年に名称を変更。現・川崎フロンターレ)のサポーターとなっていきました。

V・ファーレンに初めて出会ったのは、2009年のJFL・町田市陸上競技場で観たvsFC町田ゼルビアでした。

KYOさん提供

当時はフロンターレのサポーターだったため、「長崎にもJリーグを目指してるチームがあるんだなあ」と興味本位で観に行きました。

その後、東京に住んでいた2018年、フロンターレとJ1に昇格したV・ファーレンの試合を等々力競技場へ観に行きました。
その時はギリギリでフロンターレが勝ったんですけれど、九州にも中々面白いサッカーチームがあるんだなと感じたことを覚えています。

大きなきっかけは、都倉選手と宮城選手

その後結婚した相手が長崎出身だったという事もあり、元川崎でV・ファーレンへと来た選手に愛着が沸くようになっていきました。
最初のきっかけは、2021年に長崎へ来た都倉賢選手です。

彼は川崎フロンターレユース時代から好きな選手だったので、彼が長崎に来た事でV・ファーレンを応援する心に火が点きました。

都倉賢選手はフロンターレユースに所属していた当時、国体に出ており、がむしゃらなプレーでハットトリックを決めていた姿を鮮明に覚えています。
長崎に来て以降は歳を重ねた落ち着いたプレーぶりと、強靭な肉体での不屈の精神でファンに愛されるキャラでした。

そしてV・ファーレンを応援する気持ちが爆発したのは、2023年の宮城天選手の加入でした。
宮城天くんは、フロンターレユース時代に10番を付けていただけあって、フロンターレでプロになってからも長崎に在籍していた間も、ゲームの中でパスコースが塞がれていても自ら局面を打開する能力がありました。

いずれの選手も長崎からは居なくなりましたが、V・ファーレンはクラブスタッフのファン・サポーターに対する1人1人の対応が温かいこと。
それに何より、東京から来ても温かく迎えてくれるV・ファーレンロードでのおもてなしから始まる、トラスタまでのワクワクする気持ちに惹かれていきました。

大旗を作り、長崎に移住

昨年の最終戦では大旗まで作り、より本格的に応援に熱が入っています。

KYOさん提供

東京で生まれ育った自分でしたが、長崎に移住したい。ピーススタジアムが出来るまでに。という思いが募っていきました。

そして妻の家族の意向もあり、東京の自宅マンションを売却して、長崎の嫁さんの実家に婿養子として入る決断をしました。
V・ファーレン長崎は自分にとってそれぐらい魅力があるチームであり、長崎県は第2の故郷なのです。

KYOさん提供

現在は希望通り長崎に住んでいます。
長崎の魅力は、食べ物が美味しく特に魚が旨いところと、静かで環境が良いところです。

車があるので特に不便さも感じませんし、V・ファーレン長崎のファン・サポーターを含めて、長崎の人は暖かく街の人が親切なところも魅力に感じています。

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