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愛するクラブの元戦士:幸野志有人【2】

V・ファーレン長崎は今、あまりに痺れる状況にある。
「J1昇格プレーオフ」への出場権を手にし、自動昇格の可能性も残す。
そしてそれらすべての戦いを、新たな本拠地・ピーススタジアムで戦う権利も得た。
「最高の舞台」へ立つ準備を着々と整えている。

現在重要な試合を控えるクラブを見て、ふと思った。
クラブ初のJ1昇格を達成したあのシーズンの戦士たちに話を聞くことで、ファン・サポーターの機運をより一層高めて試合を迎えられるのではないか。

前回に引き続き話を伺ったのは、幸野志有人
V・ファーレンがJ2に初参入した2013年に期限付き移籍で所属すると、存外のJ1昇格プレーオフ進出に貢献。
さらに2017年には完全移籍で加入し、30試合に出場した。クラブ初のJ1昇格を達成したチームの一員で、ファン・サポーターの記憶に濃く残る選手の1人である。

幸野さんの現在の活動や、考え方について語っていただいた【1】はこちら。


高木さんが直接「ぜひ欲しい」と言ってくださった

―ここからはV・ファーレンに所属していた頃の話に移ります。長崎との最初の縁は2013 年。V・ファーレンのJ2参入初年度に期限付き移籍で加入しました。この時はどういう経緯だったのでしょうか。

「高木さん(当時監督の高木琢也氏)がどこから僕のことを見てくれていたのか分からないですけど。
僕は18歳の時にFC東京から町田(FC町田ゼルビア)に半年間レンタルで行っていて、その時の熊本(ロアッソ熊本)の監督が高木さんだったんです。
その時に対戦して、高木さんってめちゃくちゃスカウティングするんで前後の試合も全部見て、多分そこで良いと思ってくれたんでしょうね。
町田でのシーズンが終わった時に直接会いに来てくださって、ぜひ欲しいと言ってくれたのがきっかけです。

その時町田でずっと試合に出ていたのでFC東京に戻って試合に出たいなという気持ちもあったんですけど、どう考えても面子的にチャンスを得るのは厳しかった。
年間通して試合をやりたいという気持ちが強かったし、そこまで熱意を持って誘ってくれたので選んだという感じです。
まだ19歳だったので、J2に上がったばかりだとかは全然考えていませんでしたね。長期的な目線ではなく、今試合に出たいから行ったという感じでした」

タフな練習を経て、気が付いたら勝っていた2013シーズン

―このシーズン、Jリーグ1年目にして高木さんに率いられたV・ファーレンは6位に食い込みます。J1昇格プレーオフにも出場しましたが、幸野さんにとってどういうシーズンでしたか?

「楽しかったですね。嘘みたいな話ばっかりで、本当に色々ありすぎました(笑)。
今のV・ファーレンの姿からしたら考えられないですけど、当時は練習場もなかったですし。
オフ明けに島原まで行って2部練習をして、間の昼の休みには昼ご飯を食べた飲食店で突っ伏して寝る時もありました。朝6時半に家を出て夜8時ぐらいに帰ってくるみたいな生活で、学生みたいでしたね。

本当に練習がきつくて『Jリーガーってこんな感じだっけ?』と思う時もありましたけど、でもそれをやっていたら勝手に試合で勝っていた、みたいな感じです。
部活はやったことないんですけど、部活っぽいと思います。青春的なところがあったかもしれないですね。僕は19歳だったのでできましたけど、今の年齢であれをやっていた人はすごいなと思います」

―楽しかったという2013シーズンで、特に記憶に残っている試合はどれでしょう。

「高木さんって、会心のゲームが年に数回あると僕は勝手に思っているんです。本当にパーフェクトな、えげつなく躍動しているみたいな試合が。
僕の中では、2013年はアウェイのガンバ戦(第32節・2-1)と、アウェイのジェフ戦(第40節・2-0)は会心の試合でした。多分、見ている人も感動したんじゃないかな。下剋上の会心の試合だったと思います」

(幸野さん提供)

毎年のオファー、1番早いオファーが決め手に

―2014年以降千葉や山口などでプレーされた後、2017年に今度は完全移籍でV・ファーレンに加入します。この時の選択は2013年のことも影響していたんですか?

「2013年の後も、高木さんは毎年オファーを出してくれていました。それもあったし、当時まだ23歳ぐらいで、レンタルで行っているチームではそれぞれ試合に出ていたんですけど、めちゃくちゃ上手くいっていたかといったらそうではなかった。シンプルにそんなに選択肢がなかったというのもありました。

完全移籍というのも慰留されていたわけではなく、東京から満了になったから完全移籍せざるを得なかっただけでした。
そういう中で高木さんが1番早くオファーをくださったので、本当にありがたいなと感じて行かせてもらったんです」

当時、サッカー選手に絶望しかけていた

―当時の心境としては、どのような思いを抱いていたのでしょうか。

「当時プロ8年目なんですけど、僕はそれまでの7年間で6チームに所属していて『サッカー選手って結構大変だな』と絶望に近い感覚がありました。
住む場所も毎年変わるし、当たり前なんですけどシビアな契約の話も毎年あるし。
そして思い描いていたキャリアと違いすぎて、毎年『ここでもう1個上に行かなかったらもう代表はないな』『全体のキャリア的に、20なん歳で代表に入ってないってことはもう厳しいでしょ?』という思いもありました。

今考えたらその当時ですら若いのに、プロ入りが早かったからこそ8年目で絶望しているみたいな状況でしたね。
結果が出なくて東京から満了になって、(2016年後半に所属した)山口でも試合には出ていましたけど人間関係は決して上手くいっていなかった。翌年のオファーをもらっていたかどうかも分からないですけど、あったとしても残るつもりはありませんでした。

他のチームからもいっぱいオファーをもらったわけじゃないなかで、長崎が1番最初にオファーをくれた。1番早く声かけてくれたというのはめちゃくちゃ大きくて、それで迷うこともなかったですね」

―2017シーズン、幸野さんの活躍もあって2位でのJ1昇格を達成します。この成績は予想していましたか?

「いやいや全く。誰も予想してなかったんじゃないですか(笑)
僕としては、長崎に行った時点で『J1に戻ってくるまでにだいぶ時間がかかるんだろうな』と思っていたので。2017年の最初は会社のゴタゴタもあって『大丈夫かな?』と思いましたし。

今のチームは分からないですけど、V・ファーレンの良いところって本当に選手がみんな良い人なんです。年齢が上の人たちの多くが穏やかで良い人ばっかりで、その人たちが責任感を持って上手くバランスを取ってくれたので、僕は副キャプテンだったんですけど本当にのびのびやらせてもらっていました。もちろん、他のチームは悪い人が多いというわけじゃないですけど。
(中村)慶太とか田上大地(現・ファジアーノ岡山)とかトミ(富澤雅也)とか同い年とかも多かったですし、本当に楽しかったですね。
何より、試合に出ているのが1番楽しいですし。でも、正直まさか上がれるとは思っていませんでした」

2017で印象的だったのは、ボコボコに殴られ続けて勝った福岡戦

―昇格は1つ印象的だと思いますが、2017シーズンで特に思い出深い試合はどれでしょうか。

「2017 年だと、覚えているのはアビスパ戦のアウェイゲーム(第28節・1-0)。ずっと攻められてボコボコにずっと殴られ続けているみたいな、シュートはほとんど打っていないみたいな試合でした。CKから1点を取って勝ったんですけど、そこまでずっと守備していると、逆に気持ち良いなみたいな感覚になってくるんです。

今シーズンのマンチェスター・シティ対アーセナル(第5節・2-2)だとかも一緒だと思うんです。前半のうちにアーセナルに退場者が出て、ずっと6枚と4枚でブロック引いて戦っていて、殴られすぎてだんだん気持ちよくなってくるみたいな。
福岡戦もそんな感じで、それで勝ったのは物凄く気持ちよかったですね。多分、相手はめっちゃむかつくと思いますけど(笑)

あとはジェフに後半アディショナルタイムで勝ち越した試合(第34節・2-1)は覚えていますし、10月のホーム・名古屋戦(第38節・1-1)で後半アディショナルタイムに追い付いたのもそうですね。今考えてもすごかったなと思います」

―名古屋戦に関しては、今年フアンマ選手にお話を伺った際にも挙げていました。

「あれはホントにすごかったですね。

13試合負けなしで昇格したんですけど、神懸かっていました。
アディショナルタイムで同点とか逆転とかめっちゃあったし、毎試合違う人が点を取るというのもそうだったし。自分でプレーしながら『このチームすごいな』『勢いってすごいんだな』という感覚がありましたね」

【1】でも紹介しましたが、幸野さんは今月「NAGAYO FESTIVAL」というイベントを開催予定です。イベントは11月15~17日の3日間。

幸野さんは11月16日にV・ファーレンでともにプレーした前田悠佑さん、徳永悠平さんとともに小学生が対象のサッカー教室とトークショーを、11月17日にはAI Workshopを実施します。
イベント前日まで申し込めますので、15日の能鑑賞会やお食事イベントを含め参加希望の方は画像のQRコードよりお申し込みください。

また、幸野さんの洋服のブランド「CLUB SARCASM」に興味のある方は、ぜひ以下のURLよりご覧ください。

「CLUB SARCASM」(幸野さん提供)
「CLUB SARCASM」(幸野さん提供)

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