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愛するクラブの元戦士:幸野志有人【1】

V・ファーレン長崎は今、あまりに痺れる状況にある。
「J1昇格プレーオフ」への出場権を手にし、自動昇格の可能性も残している。
それらすべての戦いを、新たな本拠地・ピーススタジアムで戦う権利も得た。着々と「最高の舞台」へ立つ準備を整えている。

遡ること7年前、多くのサポーターがご存知なように、長崎はその舞台への階段を1度駆け上った。
高木琢也監督(現・取締役兼CRO)に率いられたチームはシーズン終盤を13戦無敗、10勝3分という素晴らしい成績で突っ走り、最終的にはアビスパ福岡や名古屋グランパスを退けてクラブ初のJ1の舞台にたどり着いた。

現在重要な試合を控えるクラブを見て、ふと思った。
クラブ初のJ1昇格を達成したあのシーズンの戦士たちに話を聞くことで当時昇格を達成した要因を理解し、またファン・サポーターの気分をより一層盛り上げられるのではないか。
彼らは現在、どのように過ごしているのかということも気になる。そこで取材を申し込んだところ、複数人が快く取材に応じてくれた。

今回話を聞いたのは、幸野志有人
V・ファーレンがJ2に初参入した2013年に期限付き移籍で所属すると、存外のJ1昇格プレーオフ進出に貢献。
さらに2017年には完全移籍で加入して30試合に出場し、クラブ初のJ1昇格を達成したチームの一員に。ファン・サポーターの記憶に濃く残る選手の1人である。


現在もプレーヤー。大好きな長崎での活動も

―今回はどうぞよろしくお願いします。早速ですが、現在はどのような日々を過ごしているのでしょうか。

「3年間ぐらいヨーロッパにいたんですが戻ってきて、今年の7月から父が代表をやっている千葉県1部リーグの『市川SC』でプレーしています。
他にも2020年からやっている『CLUB SARCASM』という洋服のブランドと、Webサイトのデザインを作るお仕事も3年ぐらいフリーランスでやっています。

V・ファーレンで計4年プレーしたんですけど長崎がすごく大好きで、長崎でなにかやりたいなとずっと思っていて。
長与に森満工業さんという会社があるんですけど、たまたまそこのオーナーさんから『一緒に長崎を盛り上げるようなことをやろう』と声をかけてもらい、長与からAIとかメタバース、デジタル教育などを推進していく『Meta Nagasaki』という会社の代表もやっています。
だから、長崎には結構行っていますよ」

幸野さんは今月も、長与で「NAGAYO FESTIVAL」というイベントを開催予定です。
イベントは11月15~17日の3日間。
幸野さんは11月16日にV・ファーレンでともにプレーした前田悠佑さん、徳永悠平さんとともに小学生が対象のサッカー教室とトークショーを、11月17日にはAI Workshopを実施します。
イベント前日まで申し込めますので、15日の能鑑賞会やお食事イベントを含め、参加希望の方は以下の画像にあるQRコードよりお申し込みください。

また、幸野さんの洋服のブランド「CLUB SARCASM」に興味のある方は、ぜひ以下のURLよりご覧ください。

「CLUB SARCASM」(幸野さん提供)
「CLUB SARCASM」(幸野さん提供)

プロ入りは16歳。早かったからこそ

―サッカー選手で洋服を好きな方は多い印象ですが、縁遠そうな内容も多いように感じます。

「僕は16歳でプロになったんですけど、早かったからこそいろいろと経験するのも早くて。
将来的にサッカー選手以外のキャリアについて考えないといけないという状況に直面するのも普通の人より早かったんです。
26歳まで10年間Jリーグにいたんですけど、プロなるのが早かったからこそサッカー選手としてのあり方に疑問を感じるのも、外の世界に触れるきっかけも早かったというのはありますね」

―なるほど。いつ頃から他のことを考えるようになっていったのでしょうか?

「そもそもプロサッカー選手になっている時点で追求できているとは思うので矛盾するんですけど、性格的に1つのことだけをやるというのが最初からあんまり得意じゃなくて。
サッカー選手としてのあり方って人それぞれあると思います。
24時間すべてをサッカーに捧げている人もいますし、世間的には多分それが正しい形ではあると思います。

けれど、僕の場合は『サッカー選手だからサッカーだけを考えているのが正解だよね』とは思っていない。
例えば子供の頃から洋服が好きで、洋服のことを考えている時間や洋服を見たり着たりする時間がサッカーと同じように好きだったんです。
僕みたいにサッカー選手として成功できなかった人が言うと『だからだよ』ってなっちゃうかもしれないですけど、そこは人間として何をやりたいかだと思っているので、正解はないと考えています」

やめるタイミングを選べるようになりたかった

―若い頃からセカンドキャリアとして考えていたんですか?

「洋服以外のこともやりたかったからやったという感じで、そもそもはセカンドキャリアとしては全く意識していませんでした。
ただ、僕はJリーグで10年やってFC東京のようにJ1のいわゆる大きいクラブから、2013年の長崎や2012年の町田のようにJ2に参入したばかりのクラブまで所属し、いろいろな先輩たちを見てきました。
引退の瞬間ってもちろん誰にでも等しく訪れるんですけど、やめたくないのにやめなきゃいけないという人たちがほとんど。選べない人の方が多いんです。

例えば僕が長崎に所属していたとして、長崎から契約満了を告げられたら他のチームを探すことになります。
その時に例えば他のチームから来たオファーが月15万円しかもらえないのであれば家族を養えないからやめるという選択になったり、いつまでという期限を決めてオファーを待って来ないからやめたり、が一般的な去り際です。
それらをたくさん見てきたので、これは悲しいなとずっと思っていました。
もし他に収入があれば、例えば15万のオファーでも取れる。他で月50万稼いでいれば、別に15万円のオファーでもサッカーを続けられるんです。
もちろん50万円稼ぐのはめちゃくちゃ大変なんですけど、そうすれば選べると思ったのがきっかけでした。

ドイツに行った時に『海外にいながら、サッカーをやりながらできることって何だろう』と考えた時に、Webの仕事だったらできると思って始めたWebデザインの仕事の知見が、最近始めたAIとメタバースの『Meta Nagasaki』 に繋がっています。
AIやメタバースにはずっと興味やワクワクを感じていたので、興味があるところに自然と行った感じがします。

ちゃんとお金をもらってプロとしてサッカーをやらせてもらいつつ、他のことで十分稼げているからやめたい時にやめられる、という自分の理想の形を作りたくて、実際に、カテゴリーは落としましたけど理想の形ができています」

―興味のあるところに目を向けることを繰り返して、今に繋がっている感覚ですか?

「そうですね。その中で優先順位的に薄くなっていったものが勝手に消えていく、みたいな」

―これまでに、他にも興味を持ったものがあれば教えてください。

「英語に関しては全く火が消えずに、5年ぐらい毎日必ず勉強しています。
ロンドンで英語を使って仕事していたので普通にはしゃべれるんですけど、趣味のような感じですね。

他のことは思いついてすぐやって『これつまんないな』と思ってやめる、というのは日々あります。始めるハードルは物凄く低いです。やってみてつまらなければやめればいいじゃん、みたいな感覚ですね」

(幸野さん提供)

自分に対して純粋でありたい

―なるほど、とりあえず1回やってみるんですね。他に、幸野さんの中で大切にしている考え方はありますか?

「自分に対してのピュアさはすごく大事にしているつもりです。
『自分らしく』でもあるんですけどちょっと違って、純粋であることを大事にしたいなと思っています。

会社もそうですし、Jリーグも組織なのでサッカーもそうだし、お金もそうだし、いろんなものが絡むと純粋でいるのってめちゃくちゃ難しい。
今31歳なんですけど、こういう年になると本当に自分の好きなことでも『社会的にこうしといた方がいいんじゃないだろうか』『社会的にこういう風にしないといけないんじゃないか』と考えてしまうことが誰しもあると思います。
その時に自分の中の正しさを貫くのは難しい。貫く方が難しい選択肢の場合が多いですし。

でも、それが世間の正しさとずれていたとしても、というところを僕はずっと意識してきました。
それでぶつかることとか上手くいかないことは多々あって、もちろんダメージを食らうんですけど、でもそうやって貫いてきました。

それこそV・ファーレンでも人間関係において監督と選手の立場などで上手くいかないこととか納得いかないこととか多々あった中で、じゃあどこに合わせていくのかというのは難しかったですね。
世渡りするために、自分の信念みたいなものをどこまで殺すのかというのはめちゃくちゃ難しい議題だと思います」

どうなるか分かったうえで貫けるか

―年齢を重ねても、変わらずに自分の中のものは持ち続けてきたんですね。

「そうやっていくと周りからは絶対『大人になれよ』みたいに言われるんですよ。
全部が全部抗い続けるわけじゃないしバランスだと思うんですけど、でもそれってどうなんだろう。譲れないところがない人もいるのかもしれないですけど。

例えば、譲れないポイントがサッカー選手であり続けることだったとしたら、監督にどれだけ理不尽なことを言われようがそれに合わせていくと思います。でも、譲れないポイントは人によって違います。

僕の場合は、その軸が自分の中にあるつもりでした。もちろん『これを言ったらどうなるか』は分かっています。
どうなるかを分かった上で、そこを貫けるか。
短期的に見るとすごく損している感じだし周りからも絶対そう言われるんですけど、僕は長期的にはそっちのほうが良いと思っています。

あとはそういう失敗とか怪我とか『終わったわ』みたいな経験をたくさんしてきたので『いや全部大丈夫だな』みたいな感覚はありますね。広い目で見たら全部大したことないな、みたいな感覚です」

明日公開の【2】、明後日公開の【3】では、V・ファーレン所属時のお話をたっぷり語っていただいています。
そちらもぜひご覧ください。

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