愛するクラブがくれたもの【16・特別編】
V・ファーレン長崎を愛するサポーターの方からお話を伺い、応援することで得たもの、楽しさを多くの人に広める「愛するクラブがくれたもの」。
第16回は「ユカチャさん」よりいただいたお話です。
なんと、ヴィヴィくんの初代アテンド役だったユカチャさん。
貴重な貴重なお話が盛りだくさん。
僕はこれを読んで、ヴィヴィくんのことがもっともっと好きになりました。
ヴィヴィくんのデビュー時秘話
私はヴィヴィくんのアテンドのボランティアを、ご縁あって2010年から2015年の第1節までしていました。
2010年5月22日のヴィヴィくんデビューの日のことはもう断片的にしか覚えていないのですが、天気があまり良くなかったこと。
また、お披露目の際には入場してからボードに書かれた「ヴィヴィくん」という名前を発表するはずだったのに、入場の際にそのボードがひっくり返っていて名前が見えてしまっていたこと。それらは今でも鮮やかに思い出せます。
ヴィヴィくん、すごく緊張して、言われていた手順が飛んでしまったらしいです。
ヴィヴィくんに初めて会ったのは、デビューの2日前でした。生まれたてでホワホワのヴィヴィくん、すっごくかわいかったです。
サッカー観戦からマスコットにハマる
私は諫早で行われた横浜フリューゲルスの試合も見に行ったこともあり、サッカーは昔から好きなスポーツでした。
本格的に観戦するようになったのは、ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップの後からです。
ワールドカップのメンバーにも入った巻誠一郎選手のプレーが好きで、ジェフ千葉の試合を見に行くようになっていきました。
その中で2006年の最終節、フクダ電子アリーナでジェフ千葉のマスコット、ジェフィとユニティと写真を撮ることができ、同行してくれた妹と「なんてマスコットってかわいいの!」となりました。
そこから、どのチームにどんなマスコットがいるかということを、当時全盛期だった数々のマスコットブログを通じてせっせと学びました。
特に清水エスパルスのパルちゃん、こパルちゃんたちが気になって、絶対現地でパルちゃんショーが見たい!と早速翌年の2007年4月21日に、妹と日本平スタジアム(現・IAIスタジアム日本平)へ向かいました。
初めて見たパルちゃんは、足取り軽やかに駆けていきます。待機列の清水サポさんたちが「お!パルちゃん!」と元気よく声をかけていました。
私は「大スターのパルちゃんなのにみんな普通にあいさつしている…!」と衝撃を受けました。
その日のパルちゃんショーは、絢香×コブクロの「WINDING ROAD」。
あの有名なパルちゃんたちによるスポンサー紹介も見られて、本物だ…!と喜んでいました。
試合は1-2で敗れてしまいましたが、終了後にパルちゃんが場内を回ることは事前リサーチ済みだったので、ものすごくドキドキしながらも静かにその時を待っていました。
いよいよ、私たちの番を迎えます。
分かりやすく「長崎空港」と書いてある袋に入ったお土産を渡すと、お付きのヨネさんとパルちゃんは「え!?長崎から!?負けちゃってごめんねー」と驚きつつ、すごく喜んでくれました。
パルちゃんがヨネさんに何か耳打ちすると、ヨネさんが走って急にどこかへ。
その間、パルちゃんは私たちにいろいろな小ネタをずっと披露してくれました。テキストと動画でしか見たことのない世界がそこには広がっていて、すでに感無量でした。
しばらくして戻ってきたヨネさんの手には、エスパルスのタオルマフラーが1つ。
「じゃんけんして勝った方にあげる!」とのことでした。
素敵なサプライズおもてなしに、叫んで大喜びした記憶があります。
おそらく10分ほどのパルちゃん・ヨネさんとの時間でしたが、想像していた何倍も濃密なひとときで、帰りの最終のシャトルバスに揺られながら多幸感でいっぱい、胸いっぱいで半ば放心状態でした。
「人生で幸せな思い出は?」と問われると、この時のことを真っ先に思い出すぐらい、とても大きな出来事でした。
その後、Jリーグでは今のところ最後の開催となったオールスター(2007年エコパスタジアム)のマスコット大集合に行き、いろいろなマスコットたちと触れ合ったり、「パルちゃんとグランパスくんのほん」が発売された時は水曜ナイターにも関わらず長崎から名古屋(瑞穂陸上競技場)まで行きグランパスくんとパルちゃんのエアギターを堪能したり、師匠(グランパスくん)のノールックサインをもらったり、と本当にマスコットとの楽しい時間を重ねていきました。
楽しい時間を味わってほしい、という思い
こんな私がご縁あって、ヴィヴィくんのアテンドをすることになった時に思ったのは「これまで体験してきた楽しい楽しいマスコットとの時間を、ヴィヴィくんに会いにきてくださる方にもぜひ味わっていただきたい」ということ。
特にパルちゃんとヨネさんにしていただいたおもてなしが本当に心に残っていて、少しでもお2人に近づけるようにと考えました。
2010年〜2012年のJFL時代は、特に後半は長崎県立総合運動公園陸上競技場(現・トランスコスモススタジアム長崎)の改修工事もあったので、長崎市総合運動公園かきどまり陸上競技場(現・ベネックス総合運動公園陸上競技場)、佐世保市総合グラウンド陸上競技場、島原総合運動公園陸上競技場とあちこちで試合が開催されました。
まだまだ人もまばらで、試合の前後にはたくさんの時間がありました。
誰もいない島原の陸上競技場の前で、ヴィヴィくんとタンポポの綿毛を探しにひたすら散歩しているだけ、という今考えるとすごく贅沢なひとときも記憶に残っています。
たくさんの時間を過ごした控室での思い出が多く、島原は放送室、佐世保も同様の部屋、かきどまりはロッカールームのようなところが控室だったと思います。
そこで、私の母が持たせてくれたおにぎりを一緒に美味しくもぐもぐしたり、いろいろな話をいっぱいしたりしていました。
ヴィヴィくんにはマスコットとしての帝王学(そんなものがあるのかわかりませんが)のようなものを伝え、過言ではなく1から100まで全てを教えました。前述のパルちゃんとの幸せな思い出も伝えたはずです。
初めは雛鳥のようだったヴィヴィくん
ヴィヴィくんはオシドリと九州シカのハイブリッドですが、最初は本当に雛鳥のようでした。
今回、この記事を書くきっかけとなった6/28の以下のポスト
でいただいた写真を見ていると、特に2010年から数年間は、私が前を歩き、ヴィヴィくんが後ろを付いてくるものが多く、ひよこのようだったんだなと感じます。
そういえば、私の姿が見えなくなるとパニックに陥っていたこともありました。
(そんな姿が愛おしくてたまにわざと隠れていました。ヴィヴィくん本当にごめんなさい)
そんなヴィヴィくんは元来の真面目で一生懸命な性格もあって、少しずつできることが増えていきました。
先ほど1から100まで教えたと言いましたが、最初からできたこともありました。
それは、小さなお子さんが来た時に膝をつき、目線を合わせて触れ合うことです。
これには感動して、ヴィヴィくんすごいな!と思った記憶があります。
チャントにはヴィヴィくんも大喜び
今では他のマスコットを飛ばすこともある有名なヴィヴィくんチャントですが、いつからという記憶はないものの、かなり早い段階からゴール裏のみなさんが歌ってくれていました。
失礼ながら、ゴール裏の中心で応援されているみなさんはそれまではとっつきにくいイメージで何となく近寄りづらく感じていたのですが、本当にヴィヴィくんに優しくしてくださって、ヴィヴィくんとも喜んでいました。
長崎には今でもアウェイサポーターさんを歓迎する文化、ホームもアウェイも関係なくマスコットを大事にする素晴らしい文化があると感じていますが、ヴィヴィくんの誕生間も無くからずっと熟成され、現在の姿があるように思います。
Jリーグ参入から活動の幅が広がるように
2013年に念願のJリーグ参入を果たして、現在の長崎県立総合運動公園陸上競技場(トランスコスモススタジアム長崎)も完成。
ホーム初戦となったガンバ大阪戦はチケット完売で、本当に夢のような時間でした。
ヴィヴィくんと「人がいっぱいいるね!」と、とても高揚した気持ちで歩いたのを覚えています。
ガンバサポさんもいっぱいお越しくださいました。
今でも大活躍中のレインコートは、実は何とサポーターさんの手作り!
採寸もできない中、サイズ感を想像で作ってくださったんだと思います。
お披露目は2013年6月29日のアビスパ福岡戦でした。
あまりにもかわいすぎて、うれしくて、号泣しました。
J2で戦うようになったこの年から「九州だJ!」に参加させていただくようになり、あちこちお出かけをさせてもらいました。
マスコットもスタッフさんたちも本当に仲が良くて、みんなが心から楽しんでいる素晴らしいイベントです。
この年の7月にギラヴァンツ北九州のホーム(当時)・本城陸上競技場で、40分にも渡る灼熱の中のクイズ対決の後、みんなでスタグルの焼きカレーを食べたのはとても楽しい思い出です。
年が明けて、2014年のFUJI XEROX SUPER CUP2014はアテンドとして同行しました。
ここでヴィヴィくんはマスコット総選挙で自身初めての1位となるのですが、この時はなんと発表ギリギリまで投票可能でした。
マスコットたちがスタンバイする列のそばで、Jリーグのスタッフさんがノートパソコンを持ちながらずっと画面とにらめっこしていた姿が印象的でした。
「このままだとたぶんヴィヴィくんが1位…うん、1位ですね!」と、入場直前に言っていただいたことを覚えています。
みなさんに大切に可愛がってもらい、ヴィヴィくん自身も精一杯頑張る姿がこの時の1位に繋がったんだなあと、とても幸せな気持ちになりました。
アテンドは終えても縁は終わらない
ただ、私は2015年に東京へと転居することになり、残念ながらヴィヴィくんのアテンドのボランティアを続けられなくなりました。
そこからは私自身も新しい環境に慣れるのに精一杯で、サッカーを見に行く機会が減少しましたが、ヴィヴィくんが関東へと来る機会にはできるだけ足を運ぶようにしていました。
長崎でのホームゲームにも年1ぐらいで見に行くようにしていたのですが、2019年シーズンからは行けるアウェイにはできるだけ行くように。
この年はヴィヴィくんのお出かけも多く、栃木、味スタ、千葉、町田、沖縄、大宮、新潟と私もあちこちに行きました。
その他にも何か大きいイベント(毎年のハロウィン、2023年のディナーショーなど)にはできるだけ参加して、直接感想を伝えるようにしています。
というのも、例えばSNS上ではヴィヴィくんのことですごく盛り上がっていても、本人は意外とピンときていない、気づいていない…とうすうす感じることが何度かあったからです。
皆さんへのお願い
なので、ぜひみなさんにお願いしたいのは、もし直接ヴィヴィくんに会える環境にあれば「この間の〇〇、とても良かった!」と感想をどんどん伝えていただきたいということです。
具体的であればあるほど良いと思います。
遠方にお住まいで直接会うのが難しいのであれば、手紙を書くことをオススメします。
みなさんの反応や感想をヴィヴィくんは喜んでくれると思います。(手紙のハードルが高ければ、ハガキでもぜひ!)
これは2019年に私が書いたヴァンくん(ヴァンフォーレ甲府のマスコット)への手紙で、「3000字超えたんだよ…ヤバいよね」とヴィヴィくんに相談したら「この間書いた日記、1万字超えましたよ!」と言われ、じゃあ大丈夫か(?)となりました。
あと、長崎県内のスーパーやコンビニで買える、オススメのスイーツやごはんの情報もすごく喜びますので、そちらもぜひ…。
ヴィヴィくんは「愛と平和と一生懸命」の体現者
ヴィヴィくんをお好きなみなさんであればわかってくださると思うのですが、ヴィヴィくんはひたむきでいつも一生懸命。
おそらく大変なこともあると思うのですが、それを決して表に見せない、本当に努力家です。
「愛と平和と一生懸命」の体現者とも言えるヴィヴィくんを、私はとても尊敬しています。
これからも、健やかで、美味しいものをもぐもぐできて、楽しい時間をできるだけ多く過ごしてほしいです。
そして、ヴィヴィくんに会った人が楽しい思い出を作れる日常であってほしいと願います。
みなさんにもこれまで通り、たっぷりの愛情を注いでいただけたらと思います。
昔からずっと応援してくださっている方や最近気になり出したという方など、いろいろな方に支えていただいるはずです。
これからも、どうぞヴィヴィくんをよろしくお願いします。