この際だから、人生を振り返ってみた!(小学校高学年編)
今回は、「人生を振り返ってみた!」第三弾、小学校高学年編、4年生からのお話です。人格も出てき始めた年頃だからか、低学年よりかは思い出すことできると思います。
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調子は良くなり過ぎていたところあったと思います。長い物には巻かれたり巻かれなかったり。なんか分からないけど、突飛な発想が出るが、誰にも認識されなかったり、それがもどかしかったりもしたかな。
この頃は多分、僕という存在を認めてほしかったんだと思います。親に認められなかった分、クラスの友達や先生には。
※自分自身へのカウンセリング、精神疾患、発達障害の答え合わせみたいなところもありますので、人によって、嫌な想いされる部分もあるかと思います。そんな時は、遠慮せずに読むのやめて大丈夫ですからね。
ということで、小学校高学年編はじまりはじまり~
迷路作りにハマる
小学4年生の頃ハマったのが迷路作りです。2Dと3Dのがあったのですが、最初は、厚紙の工作用方眼紙(当時2~30円/1枚)を使って、立体的な迷路作りにハマりました。最終的には5階層ぐらい複雑なものを作りましたね。自分でもゴールの仕方分からなくなっちゃうくらいのw
クラスの半分の子たちの間で広まり、迷路作っては貸し借りして、誰のが一番難しいとか、ゴールまでの速さを競い合ってました。
ビー玉が通る広さは、方眼紙2マス分でした。想像がつきにくいと思うので、今度久しぶりに簡単なもの作ってみようかと思います。
落とし穴など、罠を仕掛けたり、色々考えられるので、面白いですよ。
で、もう一つが2D、つまり、ノートに普通に迷路を書くのも流行りました。自分も含め、授業中書く人が多かったので、問題になりましたけどw
バレンタインチョコ7個
小学4年の冬。
マジっすか!?こんなクラスでイケてない部類に入る僕に、バレンタインチョコ7個っすよ。
何が起きたのかと思って周りを見渡すとみんな平均して、7個もらっていた・・・
(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
でしょうね。
でもね、
「嬉しかった」
本当に。
このクラスの女子たちは優しかったですね。手作りをわざわざ作ってきてくれた子もいました。
純粋に、このクラスは「平和」だなと、朝日を浴びた気がしました。
後にも先にも、バレンタインチョコ7個以上もらったの、この時だけでしたね。
ちなみに、手作りしてくれたCちゃんが好きでした。
塾でのあだ名は「マロ」
小学5年から塾に行きだしたんですよ。中学受験はするつもりはなかったんですが、勉強できなかったんで。
あと、空前絶後の塾ブームだったのもあると思います。
それこそ、中学受験する人は、日能研とか行ってましたし。
そこの塾は個人経営だったんですけど、講師たちはヤンキー出身が多く、個性的な方々で面白かったな。他の小学校の女の子の親が経営してました。
できない子には普通に手を上げてましたけどw
時代ですね。今となっては暴力になっちゃいますが・・・
塾に行くようになってから、勉強が好きになりました。教科によりますが。勉強の仕方がわかったのが一番大きかったですね。
で、「マロ」です。あだ名が。
要は、まゆげ、抜毛してたんで。
親に見つかっては殴られていたんですが、逆にそのストレスが敢えて、まゆげにいっていたように感じます。対抗したかったのかなぁ、多分。
無意識ですが、必死だったのかな。
クイズこの人は誰でしょう?
小学5年生の林間学校は箱根に行きました。
道中、バスの中ではレクリエーションが行われました。
その中の一つに、「クラスの中の、この人は誰でしょう」クイズが始まりました。
ヒントから、クラスの子は誰か当てるクイズです。
ヒントも面白いものが多く、みんなワーキャーいいながら、クイズは進み、僕も積極的に参加していきました。
そして、ある問題が出ました。ヒントは「バカな子」。
僕は、真っ先にひょうきんな子の名前をあげました。そこでざわざわとくすくすが起こり、違和感を感じた。みんな答え知っている風な。
そう、答えは「僕」でした。
「僕」と答えが出た時、みんな爆笑。なぜ?
答え、自分なのに、他の子の名前あげたのがいけなかったのかな?
ヒントもヒントだけど、確かに他の子の名前をあげた自分を恥だと思いました。
と同時に、大きなショックを受けていました。
あの時の、僕の目に映る、「みんなの笑顔とバスの中の光景、フロントガラスから差し込む白い光」が、色褪せずに脳裏に焼き付いております。
あの頃はフィルムカメラだったはずですが、時代先取りして、クラウドにデータ保存されてます。削除はできません。ダウンロードすることもできません。
だからといって、クラスのみんなを嫌いになったとかはなく、他人は僕のこと、「バカ」と認識してたんだ。
ということを、理解しました。
なので、林間学校の内容は全く覚えてないw
ドンファン
僕はウソをつくことができません。
また、僕の言動を外から見た人は、僕の好きな子が一発で分かってしまいます。要は、ポーカーフェイスなんてできない子でした。
小学5年生のいつ頃から、Mちゃんという、クラスで人気1、2位を争う子を好きになりました。最終的に、Mちゃんも僕のこと好きとまでいかなかったとしても、気になってはいたはずです。
なぜなら、クラスの男子全員、わざわざ辞書で調べて、
女たらし、要は、「ドンファン」と二つ名を与えてくれましたし。
小学生が「ドンファン」なんて言葉使いますか!?
僕は言われた時、ポカンでしたよw
別に、他の女の子にもちょっかい出してた訳でもなく、普通に友達として接していただけなんですが。
僕は、確かにクラスで目立ってはいました。
人気とかじゃなく、ソウ状態に入ると、口は達者になるし、授業中も積極的に手も上げていたし、誰も認めてなかったですが、クラス新聞のアイデアは全部僕が出してたんです。
万能感は半端なかったと思います。通常時とのギャップで、ただ浮いてただけですね。
ここでも僕は「ドンファン」と認識されている、と理解しました。
ただ、この件に関しては、特にショックはなく、恥ずかしかっただけです。
女子は、精神年齢高いですね。どっちかというと味方してくれてました。
あ
だから、男子に嫌われていたんですねw
今、分かりました。
走れメロス
学習発表会ってあるじゃないですか?
全クラスで参加する発表会、舞台や音楽でしたっけ?
僕は、走れメロスの舞台に参加することになりました。どうやって参加が決まったのか忘れましたが。
で、メロス役になりました。というか、させられました・・・
特に、うちのクラスの人推薦で、周りも賛同しちゃって。
演劇部の子もいたので、僕は、そっちがいいと抗議したんですが、何故か僕になりました。
なぜ?仕組まれた?恥かかせたかったのかな?
真意は分からないまま、稽古が始まりました。稽古期間そんななかったと思います。
最初、本当に嫌で嫌で、人前で、舞台に立つなんて、考えただけで、吐きそうでした。なんで、僕なの?って。
(大人になってから、芝居に関わるとは夢にも思いませんでした、この時は)
この時こそ、ソウ状態に入っていれば、ある程度いい結果?が出たのかもしれませんが、アドレナリンは全く出ずに、セリフ覚えるのに精一杯でした。
役作りなんてものナッシング。
緞帳があがる。
メロス、上手から登場しながら、
「ニネンブリニキタコノマチハ、イッタイドウシタトイウンダ、マチジュウガシズンデイル・・・」
ちなみに、背景幕の後ろにはプロンプター(セリフ教えてくれる人)が隠れていましたとさ。
6年1組出席番号1番
「バカ」「ドンファン」など思われている僕が、卒業式で、こんな大役仰せつかっちゃっていいのかなと思いました。
先生は、クラス替えの話し合いの時、どんな思いで、僕を6年(5年)1組1番にしたのでしょうか。めっちゃ嫌でしたけど、最終的に腹は括りましたけどね。
その時の詳しい想いは▼▼にあります。
まとめ
基本的にいじめられてたのかな?
いじめにも参加したこともありますし、いじめられているとを自覚できたこともありました。
小学生のいじめって、順番みたいなところもありますよね。
思春期に入る、前段階の時期だから、色々感じたのかな。
ショック受けたことも多かったでしたけど、基本的には楽しかったかな、学校は。
比較すると、家にいることは純粋に嫌だったので。
次回は、中学生編をお送りいたします!