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キッチン「海」化計画を見た夫の反応😎「同時平等」の法則ってね。
昨日、帰宅した夫は何も気づかずに自分で作って持ってった空の弁当箱を洗い桶につけている。
そもそも、「毎日何かが違う」のが我が家www
わたしは大好きなのだ「模様替え」が(笑)なので、日々何か変化しているのだ。
毎日すぎていちいち誰も気にしなくなったのが実情で「日々の変化に対応する」という適応能力を日々磨いているのが我が家の家族たち。
なんて、迷惑な(笑)
つまり、毎日が「宝探し🌟」なのだよ、君☝️
駄菓子菓子。
今回の変化はでかいのだが、、、。
なんか変わってるんやけどーとそーっと言ってそのばを離れるわたし。
暫くしてから「塗ったん?」と。
そんなに驚かないのがうちの夫の凄いところ笑
いいやん。
この色、うちのビルとおんなじ色や。
流行ってるん?
と。
大きな漢じゃ
「海」化計画やでーと伝える妻が楽しくしてくれてたらよろしーみたいんで。
次は漆喰を青く🟦するぞー🤩
で、壁かけの扇風機。
もう同じところに11年ある。
時計も同じ場所だった。
今回、コンセント事情で気がついた!
こっちでも良いじゃないか!!!
我が家は木製。
あらゆるところに「ねじ止め」すればよいので、自由自在🌟
なんで今まで気づかなかったのか?くらいに、新鮮な反応。
「そもそもこうだから」と言う概念に縛られていたのだな。
変えてはいけないものだとか
勝手に思い込んでますよねw
その空間で「居るもの」が心地よくお互いに共鳴できれば良いんです。
誰も、何一つも「我慢」なんぞ「不必要」ですわ♡
ちょうど良いところにハマるもんです。
ちょうど良いものだけでちょうどよく暮らせるんです。
いつ死んでも良いように、毎日ちょうどよく整え。
整えは
「不要だ!と言って減らす」ことでもなく
「反省して自分を変える」ことでもなく
お互いが「手を離す」ことかな。
なんせ「握り込んで」ますからw
一生懸命に「この道」を決めて、これで身を立てるんだとか「決めたんだから」とかと言って「決めたこと」に執着していたのを手放したらね、いろんな「もの達」が「ここじゃない」と旅立つのだ。
ま、これが「減らす」ことなのだけど。
大きな感謝を感じた時、
それは「減らす」ことが目的だっただけで、その奥には『断捨離して減らせば「何かが手に入る」と思ってやってる「意図」』があったのだ。
これではものたちが浮かばれない!
自分でわざわざ買って
わざわざ捨てて。
それは循環と呼ぶのか?
ま、ある意味循環ですけど。
地球上にある資源は過不足なく地球上に「在り」続けるのだ。
消滅しない。
だからこそ、次のステージへ送りだすのだ。
わたしには「活躍させる術がない」と思うのであれば、生かしてくれる人や場所を探して与える。
それは「わたし」も「もの」も同じ。
自分にして欲しいことを自分がする。
目の前の「人」も「もの」もみんな「わたし」なんだ。
わたしはわたしで、あなたはあなたも一つの展開。
でも、わたしはあなたで、あなたはわたしなんだ。
気になる人のことは「気になる」でいい。
でも、目の前にいる人・ものを全力で「丁寧に扱う」ことが何よりも大切な行為かなって。
安物でも
「これがいい」で暮らすこと。
「それがある」からむふふとなれる。
これを感じられる「わたし」を微調整してる感じかな。整えるって。
「整える」が最近「わざわざ」に感じてきたうずまきでした(笑)
みんなー
まんまでいいよー!!
自分はこんなんで、こんなんが嫌で、こんなところが
だめで、ほんと迷惑かけて、誰のことも好きになれなくて、なんにも取り得なくて、役に立ちたいのに邪魔にしかならなくて、こんなやるなんで生まれてきたんだって、生きてる意味を教えてくれよって、、、、
全部大騒ぎで叫んで出して泣いて泣いて。
それでも、生きてる。
それが唯一の事実で真実。
全然、生きてる。
過去なんか思い出しても、握っててもなんの腹の足しにもなりゃしない。
何したい?
どうしたい?
なにがどうあっても生きてるってことは、自分の周りに「在る」もの達に全力で応援されて感謝されているからだ。
生死は「寿命」
良いも悪いもない。
そのものが持つ「期限」なだけ。
怠けてる人なんていない。
植物見て思う。
頑張ってもない、怠けてもない。
同じじゃん、人も。
どんな時も一生懸命「光」を目指して生きてる。
一緒じゃん。
植物と。
全力で応援されてるんだって気づいたらさ
よく分からない「整え」のために
自己中に「ものを捨てる」にはならないかな。
いかに、一緒にいて「ちょうどいい」か。
「ちょうどいい」っては、お互いに「同時に平等」に引き合ってることだと思う。
否定してても、ね。
同じこと。
「相手がわたしのことを否定してくるんです」
それって、同じだけ「あなたも相手を否定してる」じゃないかな。
ほぼ、同時におなじだけ、ね。
良いことも
よくないことも、この法則。
*写真は「ばんばん鹿」