「愛してる」をいうことにした😎
思ってなくてもいいそうだ笑笑
いえ。
今朝のウォーキングで気づいた。
日々、これからわたしがやっていく最大のポイントは
自分の体への感謝活動
これだ!って。
だから、体に優しくタッチして
「愛してる」と言いながらさする。
大好きで大切な何かを触る時のように。
常に、虐待し続けた「わたしを成してくれている体さま」を最優先で「ありがとう」を。
この体をわたしに与えてくれたのは他ならぬ「これまで命をつないでくれた命たちすべて」。
今、わたしが「わたし」として存在するのは「奇跡」でしかない。
小さな掛け金を絶妙なタイミングで引っ掛けて繋いでくれたから「在る」命。
そのものたちが生きていた、生きてきた証が「わたし」という現象として「在る」わけだ。
その枝の先に繋いでもらった命を次へまたバトンすること。
この体がまた土に落ちて混ざってこなされて、そこにタネが落ちて
新しい命が生まれる。
生み出さなくても
体が「ある」だけで次へのバトンになっているのだ。
いるだけで
もう、次へのバトンを渡すことができているのだ。
そんなことを知るためにこれまで自分と向き合ってきたんだね、わたし。
もう、わかった。
さ、次だ。
手相鑑定で「自己との向き合いが不足」とあった。
あれまーこんなに向き合っているのになんだね?と思ったけど。
そっか、「次へ」のタイミングなんだなって思ったわけだ。
求めていることをうやむやにせずはっきりとさせて
その求めていることが誰かに何かを言われるような気がしても
そんなこと気にしないで🤣
向かえばいい。
本当は思っているのに「外側の意識」でなかったことにするからややこしくなるんだよ。
思ったことは思ったこと。
自分がそれを「そうだね」って思ってあげないことがまた虐待だぜ😁
そういう意味で「丘」(手相の話)の膨らみが薄かったのかな。
いい悪いで読まない。
現状がそうなのか、と素直に受け取る。
全てが喜び。
否定も肯定もどちらでもいいのだ。
それも
自分の喜びなのだ。
感じる「わたし」がいる。
もう、それだけで喜びなんだもの。
ありがとう。
そして愛しています。
わたしに繋がってくれた全ての命に捧げます。
タイトルが:脳はそう感知するらしい。
行ってもらうことを期待して待つよりも
自分が言ったほうがより多く速く届くじゃん🤣って話。