自己肯定をすることがなんで難しいのか。
いま、神戸に出かけると言いながら、一旦出かけて、10mほどで戻り、家に入らず車に乗って、行きつけのコーナンへ。
そして、逃避するカフェにイン。
なんと
モーニングで店内ほぼ満席。
すげー。
車は置き放題だからかな?
珈琲にハーフのパンがついてくる。
お腹空いてもないのに、、、
あずきトースト頼んで食べちゃった。
人々のニーズはここなんだ。
なんか、見えた(笑)
行くと伝えたのに。
行かないことにした。
迷った迷った。
ほぼ、義務感になってしまってたから
約束を果たすことが目的になっていた。
雨も降って、足元が。
距離もあって交通費が。
自分が出かけることで、夫を放置してしまう罪悪感。
夫にしたらわたしが居ないことなどどーでもいいだろに。
迷った迷った(笑)
でも、遠くに出かけるのも、なんか違うし。
負け犬みたいに帰るのもなんだし。
家から離れて自分と向き合うのも楽しいしな。
そう、楽しいことをしよう。
家という職場から逃げよう。
なんでもいいんだと思いながらも
そんな自分で作ったしがらみにしがみつく。
自己を肯定するって
なんなんだろうか。
なんで、こんなにも難しいのか?
それは、難しいと思い込んでいるから。
なんてシンプル🌟
こんな簡単な思い込みに気づいたよ。
違和感を集める。
そして、
「好き」だと思っていることも同時に集める。
そして、全てを一旦否定する。
そして、全てをただ見渡してみる。
ほろほろと、不要なものは溢れて消える。
残ったものを、また眺めてみる。
必要か
不必要か。
次は選択するターン。
ここのカフェは
普通に
自然に
人が流れていく。
人生もそんなもんでいいのかも。
空間も人も整えようとしなくても
すでにそこに「在る」んだってさ。
そう、認識すれば良いんだね。
自分で決めて来たことも
どこか、誰かのせいになっていて。
気づけばこんな迷いの中で、誰かに決めて欲しいんだって自分に出会う。
さぁ
帰ろう。
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