温もり。生きてるんだなーと思った。おかんのながーい独り言だ。
寒いよねー。
冬だから。
冬があるから、待ち望んだ春を喜ぶ。
四季があるのが日本で、世界が羨む日本国の特質なのだよね。
毎日毎日、これは結構昔からかなー?
晩御飯までほぼ座らずに走り切って晩御飯で着席したら、そこから動けなくなる笑
で、だいたい寝てしまう。
あ!でもね気づいたことがあってね。
この「寝てしまう」行為は「もう何もしたくりません!」といアピールのようだわ!
だってね、夫氏が滅多にない忘年会とかでこないだの目の手術で遅かったり不在だった時!
どんなに
待ち遠しかったか🤭
そして、晩御飯の後に眠ったりしないのよ!
もう、朝からワクワクしてさ笑
手術の時なんて、絶対に帰ってこないでしょう?
だから、邪魔するものはなし!
(大きなこども達には内緒にしてたもん)
おひとり様を満喫🌟
二日半のスケジュールを一生懸命考えた。
あれ?
タイトルタイトル笑
そうそう。
で、リビングのこたつで寝てしまって、そしてそーっと夫氏が2階へ上がって就寝される。
そのあと、だいたい22時過ぎにわたしは「ん?」と一旦気づく。
そして、2階のお布団に入りに上がるわけ。
ほぼ毎日「再生」してる出来事。
で!2階のお布団はつべたい冷い。
全く保温系のものを使わないので、つべたいつべたい笑
こたつからのつべたいお布団なので、なかなか覚悟が必要でああるが、ここに包まれたのち「幸福感満載」になることをしっているので、これまたワクワクしながらここへ入る。
重しになるように毛布を一番上に掛けてある。
これがまたよいのだ。
う、重いっ。
と思いながらももそもそと入り、仰向けになり、腕は組んでぎゅっと硬くなる。足も足首同士で組んでできるだけ「縦にまっすぐ」小さくなる。
程なく。。。
じんわりとあったかくなる。
昨日はそれをしっかりと感じられた。
いつもはうたた寝後、布団に入って「続きの睡眠の失敗」を恐れて、できるだけ思考しない、何事もなかったかのようにこの移動をしていたのだ。
駄菓子菓子。
これを楽しむこともありじゃね?ってことに気づいたのだ。
ま、これは結果であって狙ったりはしていないし、出来ないこt。
この感覚を感じられたことはとても幸せだったね。
じんわりとじんわりと氷が解けていくかのように、自分の体温が布団を温め、その温まった暖気のお陰でわたしがまあ温められていく。
ぽっかぽっかのわたしとふとんがまるーく切り取られて、空間に溶け込むような感覚。
あー、生きているんだ。。。。
まだまだ、あったかいものを持っていて、周りを温めてあげられるんだ。
その温まったものから、また息吹をもらってお互いがバランスをもってそこに存在していられるんだ。
特に結論はない。
なんか期待した人には申し訳ないっす。
だけど、こないだから凹んだりしてることも、同じかなーって思うんだ。
結局、あーすれば良かった、こう言えば良かったとか、でも自分はここ譲れないもん!と考えちゃうこととか、あーまたやっちまったやっぱり人間関係築けないやわたしって思ったりしてるけどさ、、、、。
そもそも、無理して自分との約束無視して人に合わせてるから歪んでるんだよ。
だから、それこそバランスするために「平定」になるような出来事が起きるんだろーなーって。
そもそも、最初から「ん?」と思ったことは「断る」ことがよきだわ。
しかし、人生で目の前に「ハイ」と出現してきたことは「ハイ、ありがとう、次はこれですね」と引き受けてきたうずまきとしては、どれもこれも「受け取ってしまう」のだ。
この癖をやめて、精査しよう。
きっと無理だから。
いい人できないんだよねー(笑)
そのいい人に「メリット」ないんだもん。
なんかメリットらしきものがあっても、それはにんじん🥕ですから見極めようね〜
またまた話変わるけどー
トイレの長居の話だけど、、、
陰の場所に長居するとマイナスエネルギーを蓄えてしまうとかいうのを聞いてみて、ちょっとせいげんしてみた。
そーしていると、今度はトイレは気持ちの切り替えにとてもいい場所だと。
どっちもよくわかるが、
そ、どっちでもいいのだ。
自分が「心地よく」いればそれでいい。
例えばゴミ屋敷だとしても、それはどうやら「感情の整理ができていない」に繋がるので、やっぱり片付ければいい。
それらも「内面の表出」がゴミ屋敷なのであって、本人が「よし」であればよしなのだ(笑)
何かのせいにして生きていることに気づけ!!!
ってそんなことなんだーと深く思ったわけだ。
自分がまだまだ生きていて
血が通っている生き物で
何かを温められる存在で
あ、それからさ
「幸せ」って自分からなりにいくもんでさ、誰かから「貰う」もんじゃないってこと。
求めて「欲しい」ってるんじゃないんだってこと。
欲しい、求めるって段階でそれは叶わないって感じ。
伝わるかなー?笑
欲しい、求めるって状態って誰かのせいで、わたしはそれらを手に入れていないって叫んでるような気がしたから。
自分の意識のないところで「生きてる」わたし。
心臓くんは動いてくれて、勝手に呼吸も行われて、ヘモグロビンがいききして血液が全身を巡ってリンパ液が体を調節してくれている。
無限ではないにしろ、体内では細胞たちが働いてくれている。
それらの無意識下の活動のお陰で「熱」を持ち、わたしは「生きている」。。。
それ以下でも以上でもない。
何を求めることがある?
自分の内側にある「熱」があるからこそ生きていられるのだよ。
海亀の保護とか、博物学っていうんだって。
海水を取水して、集めて、研究しているんだって。
なんと、びっくりしたのが「海水にD N A」がって、その中にどれだけの生物がいるかわかるんだって。
水にD N A???
そのロマンにわたし、キラッとなったわ。
でも、なんでそんなこと、世界中の人が自費でやるの?ときいたらね
それが「博物学」っていうんだって。
人が知りたくなった時の「答え」を研究する学問っていうのかなー
なんか、すげーって思った。
しょうもないポジション争いや100円200円を奪い合うその世界がるとしたら、自費でやってる人もいる。
わたしはどっちの世界で?
わたしの描く未来は?
もっと、貪欲に壮大に自由にとらわれずにイメージしてみよう。
地に足つけながらね(笑)
知識欲って人を幸せにする一つかもね。
ながーくなりました。
この2、3にちで思ってたこと一気に書いてみました。
ここまで読めたあなたは勇者だ🌟
サンキュ❤️