たまたま偶然じゃない、それはあなたに向けられたSOS。
たまたま出来たんだよ、たまたま。
そうきみにとってはたまたまの偶然で、いつも通りにやったこと。
何となく,いつもいい結果になる。
たまたま出来たことで、そんなにすごいことじゃないし、それだからっていつもそれが出来る訳じゃないよ。
だから、そんなポジション要らないよ。
うーん、うーん考えたよ、お母さん。
もしかして、もしかしてだよ。
偶然でもたまたまでもなく「あなたに出来る得意技」なんじゃないかな。
(君に自覚がないだけなんだよ。)
やろう(狙って)と思って、うまくいかないことを、あなたは当たり前のようにやってしまう。
それって、あなたの特質であって、根っから備わっていることなんだと思われるのだよ。
何故、そのポジションに就かねばならなくなったのか?不本意ながらも、引くに引けない今の状態が何故怒ったのかを、考えたのね。
君の会社は「人を見るプロフェッショナルの集団」。
だから、あなたにその仕事が務まるという判断があってのことで、奥の奥が見える人たちなのだから、見誤ってはいないだろう。
それがそうたらしめたのは何故か?
君がその片鱗を見せたからなのだ。
つまり、君自身が目の前のSOSを出している人を暗闇の中から見出し、その差し出されている心の手を見逃さずに掴んだんじゃないか。
その入り口に立つことだけでさえ、感じられないひとにとっては「無理」の範疇なのに、最も簡単に探し出し、そして溶かしたのだ。
人は納得しないと動かない。
君は朦朧とする意識の中、人生になんの意味もないと嘆く者の心に「もしかして,,,終わらせて進むことができるかもしれない」とおも思わせる一言やエネルギーをだしてるのかもしれない。
納得するためには「今の自分を理解する」ことが必要だが、これさえも同時にやっているのかも。
物事は順番というよりも、一つでも一筋でもかけらでも「光」が見えた瞬間に一気に解けていくものなのだろう。
狙わずにそれがでいるということは、君自身に何があるのだろう。また、何がないのだろうか。
あらかじめ用意された「本来歩く人生の道」から外れてしまった者が、事件を起こす時、それは心の奥底から「助けてくれ」という信号を出しているのだ。
事件とは、大きくなくとも小さくとも、病気や怪我もその類。命に関わることもある、社会的なこともあろう。
その信号を聞きつける能力があるとしたら、それは君に与えられ、そして自ら望んだ特質なのだ。
今、置かれてる状況が分からない、させられていると感じているとしたら、試されているとしたら、自覚を持って臨んでほしい。
君にはそれが出来る能力があって、その人を救うことができ、そして同時にその人が君を選んでいるからなのだってこと。
目の前の現象に惑わされるな。その肉体の奥に見え隠れている「思い」を見つけてやれるのは君なんだよ。
その自覚を持って臨めば、相手に届く。
二つとしてそれが可能な「今」はない。
その人の未来を見つけてあげて。
次女へ。
お母さんより。