分厚い蓋が取れていくたびに、、、
色々と思い出されていく感覚です。
そう言えば、、、、
って感じ。
やっぱりね、わたし「ズレ」てた。
いや、まだズレてる。
しかし、それに気づいて「自覚」出来たことは素晴らしい前進だなーと思う。
わんこと散歩している時が一番何かに気づく。
自分がこはくに発した言葉とか、ちょっとしたイラつき。
人を相手しているときよりも、素直なわたしがそこにいるからだろう。
わざわざ過去の記憶を呼び起こして「何か」を探すよりも、わたしの場合「無理やりポジティブ」がかなり邪魔をするから出てきにくいのだ。
いい人と思われたい
役にたつ人と思われたい
選んで欲しい
必要とされたい
好かれたい
認められたい
この辺の承認欲求を超えたところにあると思われる「それが素晴らしい人」という「人としての理想像」みたいな
あるべき姿=理想像
この最大の思い込みが凄すぎて(笑)
もはや、あるべきを超えて
〜でないといけない=人に在らず
的な思考が脳内蔓延っているのだもの。
つまるところ、人でなしに変換されているのだ笑
昨日こはくに「行きたいところに行っていいよ、こはくが決めていいよ」って自然に発してた。
こはくがわたしを見上げて、ハッとしました。
自分が発することは自分に言ってるんだよ。
今朝の散歩で、わたしは大きな独り言を言いながら歩いていた。
両手を塞がれてる時って、思考がシンプルになりやすいのだろうね、掃除機してる時や、シャンプーしてる時なんかも同じ現象になる。
一つ一つ「自覚」していく度に「はっ」となる。
ただ、認めるだけ。
自分がそう思っていることを「思っている」と思うだけ。
たったそれだけのことが出来なかった。
それがどういうことにつながるのかってはやってみないと分からない。
だってね、知っていたもの。
書いたり、人に話したり、山のようにしてきた言葉だもん。
なのに、自分が一番自覚していなかった。
結果、いつまでもぐるぐるしていたんだよ。
ぐるぐるを止めるには何よりも「自覚」。
本当にこの「笑ける思い込み」たちは一体いつどこで誰といる時に思い込んだんだ?
ここまでシンプルに大声で早朝散歩で出た時には自分に拍手だったね。
事実以外は思い込み。
で、事実って?
なんとまあ(笑)
なんだそれ(笑)
爆笑じゃねーか😆
ってことで、今、自分が他人に発した言葉を精査していると、やっぱり「ズレ」てるってことに気づいた。
勢いや
社会的な自分の根底にある欲求でやっちまってるぞ。
一旦ストップだな。
まだまだ、重い蓋がすこし動いただけ。
段々楽しくなってきた
#自分と向き合うシリーズ
を推し進めていくことが先決だわ。
なにか物語仕立てになっていればいいのだが、自分との対話ももっと書けばいいのだろうが、スマヌ。
想像しておくれ(笑)