いちいちの行動を目的にすりゃいいんだわ。
おはよん。
全く書き逃げで申し訳ない😁
時に「継続記事」を目指してもないんやけど
穴を開けずに日々記録を人の目に晒すところに「置く」という行為も連続しているとなかなか面白いと感じ始めたので「生まれた言葉」を描くことに意識しているため、人の記事を読みにいけていない。
が、とにかく書き逃げさせていただこうw
でだな。
タイトル写真は庭のアリの巣。
普通に通る道に昨日の夕方までなかったものが出現しているのだからして面白い。
「あ、今日は雨が降るんだな」と教わった気がする。
でも、これまでもこんなことはあまりなかったのだが、
どうやらわたしの所業が変化として現れているような気がする。
庭のあちこちに切った木を埋めているからだろうか。
でも、空気の層を作っておかないと糸状菌は活躍できないのだからどうやら失敗しているのだが、あり的にどうなのだろうか。
ま、雨が降るのだなというお告げをいただいたと言うことにしておこう。
で、タイトル。
目的と手段の関係が腑に落ちたら、とても「見極め」が早くなったし、これまでの自分の行動が「理にかなって」いたのだと自己肯定が進んでいる。
自己を肯定しようとするのではなく、自己肯定されているんだという事実を「見る、知る」ことだね。
やっぱり「自覚・無自覚を自覚する」ことが何よりもスタートだ。
で、その関係が理解できたら「全ての行動をどれも目的にすりゃいいんだ」と気づいたわけだ。
常日頃「丁寧にいきたい」と思っていても
なにやら次の行動に気をやっては、手前のことを疎かにし、適当にやらかしてしまい、どうやら後悔するのだ。
これはなんでか?
を問うた結果「いちいちの行動が目的」になればいいのだという回答をえたのだ。
例えば、テーブルを拭こうと思ったならば、テーブルを拭くことだけを目的にして、他に気をやらず「テーブルを拭く」と言うこと。
この時いろんな自分と出会うのだ。
この文書を斜めに読んだ?
やってみないとわからない。
この深さ。
これらはウォーキングを始めたことで気付くことができた。
体からの「教え」だ。
なんでも
やらないでわかるわけなどない。
体験しか語れないのだもwww
気づきが薄い
鈍感になっているなら
それは「目的」がズレているから。
ここに自分で気づけたらスーパーすごいこと。
おめでとうなのだよwww
あー
人生ってまじおもろいw
ありさん
雨降らす?