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仮想現実の世界で自分の居場所を求めているのかもね。お互いともに「在る」んだって。

noteの世界も
本の世界も

わたしを現実から引き剥がす。

結局
わたしは常に「逃避」しているのだ。

目の前のことよりも
携帯電話や本の中に居る
あったことも無い人や
直接声を聞いたことも無い人を
信用し、そっちに氣(意識)を持っていかれてる。

イカれてるよね、わたし。
これが仮想現実の世界だわ。


過去の偉人もそう。
本当に話した言葉なのかも知らないし。
そんな人がいたことも本の中や誰かの話し。

事実として、自分が見たものなんて何一つない。

だからこそ学べ?
「今」しかないと解きつつも「過去」はあーだったこーだった。

目にしている現実は
自分が作り上げているもので、、、。


そうだと思う部分と
違和感とが混在している。
結局なんだ?


そんな仮装のものよりも
目の前で
手に触れて
匂いがして
感触があって
聞こえて
感じられるものと対面していることが大事じゃないのか。

わたしという存在は「わたし」でしかなく、この世界に「わたし」しかいないって言うことは大変そうだと思う。

「自由にできるんだよ」

そっか!とイメージしてみる。
色々と受け入れてみる。
変更してみる。
自由を描いてみる。

ん?
どんなのが自由なの?
そもそも、最初から自由なんじゃやないのか?
何かに縛られているなんてそれこそ「仮想現実」じゃないのか?

いつ
どうーやって
その思考に落ちた?

それが歴史だよね。
そうやって分母として扱われているわたしたちは、気づいちゃいけないことがいっぱいあるんだ。

刷り込まれていると言うよりも
そもそも、食用の豚や牛や鶏と同じ。
狭いゲージの中で与えられた空間でとりあえず次の餌になるまで食い物を与えられて飼われている「社会畜」なんだよね。

その間暇で、余計なことを考えさせるか、考えないようにさせるかして

そのゲージから出たいと思わせない。
ゲージの中に居ることに気づかせない。
ゲージの中に居ることが幸せなんだと思い込ませる。
または、そう気づいたときに感動させて「ありがとう」の世界にいざなう。

この「箱(ゲージ)」はどこまでもマトリョシカみたいになっているのかもしれないね。


簡単に「神」という言葉で解説し、それを望んだり、盲信させることで、納得説得させておけばよいのだ。

見たこともない過去の出来事が、さもあったかのように表現し、疑わないのがいいらしいとおでこにハンコを押されたのかも。

昨夜の出来事から、自分を疑い出したうずまき。

疑っているのかなにかよくわからないが、なんかおかしい。


何かに拘っては捨てて。。。

これって
ミとソのあれとおんなじじゃないか?
所有したくなって
手放したくなるやつ。

これは「モノ」だけではなく
意識や脳までもに影響しているのかもしれない。

いや、直接「脳」に働きかけているのだ。

わたしたちは「脳」が意思決定する「わたし」だと思い込んでいるから、簡単に操作されるのだ。

なんせ、単純にできているから。
否定後を認識できないようになってますからね。

上手に「そうならないように」と否定後を表面に出しておいて、結果「そうなる」ようにこんこんと宣伝しているのだもの。


石油を売って世界を牛耳るためにそれを消費させる「道具」を開発。
車なんて最たるものだって。

やっぱり
わたしたちは「分母」でしかない。
「分子」たちを支える為に多数が必要なんだもん。


さて。
だから?
なに?
わたしはその「分子」になりたいのか?


否。

絡め取られている環境下にいたくないだけ。

あ、これも否定語だ。
そう心に「置く」と肯定後で脳は理解し、絡め取られたいになる。

そうではなく「わたしはわたしで存在する」と「置く」のがいいのだろう。

「自分」
自らを分ける。

分離がダメと誰かが言った。
どこかに書いてあった?

影響を受けた。
みんなと同じがいいとどこかで思っているから。

でも、どうだろう。
わたしの中のわたしと分離することが「向き合い」の最終形態のような気がするのだ。

向き合って
尊重する。


そしてできていないとずっと思い込んでいたが、どうやらやり続けてきたのではなかろうか?と薄々見えてきたのだ。

わたし自身が「違う」と感じてきた「違和感」そのものが「疑うべきもの」だと気づいたから。

わざわざ「違和感」として「受け取らない」を決めてきたのだ。

「そうだ」と受け入れてみようか。
なんだか、やっと一つになれそうな気がしてきた。


本当に、よく頑張ってきた。
「自分」を「知る」ために必死に食らいついてきた。

お疲れ様でした。

自分を探しているつもりで、自分を否定して歩いてきたのだもの。
そりゃあ、疲れたでしょう。。。
本当に、お疲れ様だったね。

もう、なんとかしようとしないでいいね。


だって、すでになんとかなってんだもん。


今までよく頑張ったよ。
力抜いていこ。

たくさんの違和感たち。
ありがとう。

いっぱいの思考たち。
ありがとう。

そんな応援と支えの中
わたしは分母でも分子でもなく
全てのものと、ともに「在る」んだって。

上でも下でも縦でも横でもない。
お互いともに「在る」んだって。


仮想も現実も

どっちもわたしが創っている世界。
それがわかれば、それでよし。

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