「分かろう」と言うエネルギーって。やっぱり「わざわざ」が不要なんだという結論でした(笑)
おひゃよー。
しっかり雨、植物たちが喜んでるわ。
わたしが水やりしたら不均等で全然上手いことできへんのにさー
雨って凄いよね。
お日様とおんなじで「平等」なんよね。
ほんと、感心しちゃう。
さて、、、。
タイトルなのだが、、、
「分かろう」って言うことは
理解したいと思って、
それを手に入れたいと思って、
その知識を活用したいと思って、
その「ノウハウ」が欲しくてetcのことだろうか。
欲望だよねー。
(欲望を欲してるのがいいとか悪いとかではなくてね)
ただ「知る」ことなんだと思い「知った」ので、ここに記事として書いておく。
誰かの知識は誰かのもので、見ている世界は違うのだ。
理解ってどんなに説明してもらってもできないのが事実。
ま、それを「平均的」に「見える化」「共通認識」というものにしたのが「科学」と言うのかも知れないねー。
勝手に素人が呟いてますので、ご承知おきくださいね。
この世界には「わたししかいない」論で進んでいても、科学は信じるに値するんだと言う。
なんか違和感というか、都合の良さを感じたのだな。
うずまきは本当に捻くれている🤭
(これもわたしの世界なので🤣)
欲望という「欲しい」は常に叶っているのだから、習った知識は「ただの知識」となりまた次へ習いに行くのだ。
この繰り返しというか、、、
一つ、欲していた「学びたい欲求」が叶うと、それでは「足りない」と思わされるように誘導され、また次の段階の学びへと進んでしまう。
実は「基本のき」で良いのだ。
後はおひれはひれ。
オプション⌥。
細分化してその欲望をどんどんと掻き立てる「えさ」でしかない。
餌に食いつく「わたし」。。。
何万引きもいたなーその「わたし」。
ちょこっと「あまーいえさ」もらっては「もっとくれ〜」と。
嗚呼、妖怪人間。
早く人間になりた〜い😈
いかにオリジナルでい続けるか。
「工夫」で生きるのが「人」。
わたし達は「分母」でしかないのだよ。そう扱われて来たからね。
「分子」になりたいと思うことではなく、ただ「知る」ことだな。
大騒ぎして「わたしこそ特別な存在だから、絶対成功するんだ」って隣の人と手を繋ぎながら蹴落とすことしか考えていないのを客観的に見たあの日。
壇上に手を伸ばして「くれ〜くれ〜」の狂気的な図。
それを思い出した「わたし」は何を「知りたい」のかな。
知識欲?
いや、きっと自分を守るための材料集めだろうな笑
偉大なるポンコツですから🌀
昨日もわんわん吠えるわんこが、わたしを凝視していた。
何か伝えたいことがあるのかな。
赤ちゃんもそうだった。
わたしが抱くと「真顔」の彼女。
わたしは、内側の膜の中にいる感覚なのだ。
やっぱり「水の中」な感じだな。
水の中で聞こえるあの音。
実はわたくし、小三の時に担任に頭を抑えられて溺れかけたので、水中は無理なんですー。
だから、遠い記憶なのだ。
人工的な音はどうやら疲れるみたいだ。
そう言えば「雷の音」をカセットデッキで録音してた時があるなー。
雨の音や風の音、川が流れる水の音はずーーと聴いてられるんだ。
我が家の庭で過ごしていて、自動車の轍の音も大丈夫。
あまりうるさくない環境だしね。
ナチュラルな暮らしの音はきっと大丈夫。
やっぱり「わざわざ」が不要なんだという結論でした(笑)