#自分と向き合うシリーズ「期待・諦め・許可」
雨☔️足りませんでした。
「ちょうどいい」って言うのは、植物たちが満ち足りて、人間達には水害ってのにならない程度です。
足止めされたとか、予定が変更になったとか。
それはわたしにはどうでもいい。
雨はどちらかと言うと好きだな。
植物達が喜ぶから。
公園の木も、水分届かないところはどんどん切り落としていくものね。
うちのクスノキも小枝をどんどん落として省エネしている。
ほんと、無駄なく生きてるよね。
樹々は秋分通りに活動し、葉を落とし、冬に備えようと準備を始めた。
陽射しも傾きつつある。
ニンゲンは水分の取り方をこの辺で誤る。
四季のある日本ではこの辺から準備。
昨夜は降雨のおかげで、クーラーは切って、窓を開けて眠った。
1人一台扇風機をガンガン当てながら(笑)
朝方は涼しい風が入り、すやすやと。
おお!寝坊だ!
久しぶりに二度寝が気持ちよかった。
夫もすやすや。
わんこの散歩に遅刻したなーって思って歩いてると、缶集めのチャリンコおじさんも遅刻してた(笑)。
ここら辺はみんな寝坊かもね(笑)
さて、、、、
そんな心地よいスタートな未明。
わたしの中ではこんな文言がぷかぷかしていた。
期待
諦め
呼吸
信条は何か
もう、いいよ
呼吸が浅く、ゆっくり深くしようと思っても、なにか詰まったような重くて不自由さを感じていた。何度もトライするのだが、うまく出来ない。
体のあちこちが軋む。
なんで、硬いんだ、緩められないのか?
目的がない?そうだな、現在地はわかっても行きたい先を設定してないからくるくる回ってるんじゃないのか?
わたしが信条としているものは何か?
なんだか、詰問状態な、わたしの中身(笑)
って、これは
わたし自身の、わたしへの期待じゃないのかな?って思ったら、いい意味で諦めようよ(笑)
追い詰めてるんじゃん笑
何か必ず「答え」や「目的」が必要であることが大きな思い込みじゃない?
ゴールなんてない。
いつもチャレンジばっかり。
結果、失敗もない。
必ずおかげさまになる。
詰問して「この答え出せ」「それしか正解はない」って目的が答えを出すことになってたかも。
ここで言う答えは結果やね。
何かしたら、必ず引き換えになるものを求められるし、求めてきた。
「動いた分だけ、回収してね」と夫に言われたあの時から、
そうかやってることを無駄にしてはいけないんだね、必ず次に繋げるための「手段」として捉え目標に向かってやってるんだと「主張」出来るようにしておいて初めて「行動」が出来るんだって、学習した。
いや、本当にそうかな?
未来って、まだ来てないって書いて未来よ。
こうなるって予想とか立てられへんからワクワクするし、常に何かしら、変化して「今」やもん。
そんな風に計画したり予想することって、わたしの中の「創造」「イマジネーション」とは違うね。
行き当たりばったり。
なんとなく呼ぶ方へ。
それがわたしにとって正しい道でしかない!
正しい道でないはずがない。
ま、これらも思い込みやとしたらえらいこっちゃやけど(笑)
でもさ、わたしの「今」は紛れもなく自分自身で思い描いた暮らしになってると思うよ。
過不足なし。
迷いなし。
幸せってほんと「凪」だわ。
ふーん
へー
ほー
うふふ
的な。
で、どう向き合ってもここにくる「ゼロ」。
でも、手段で目的で、呼ぶ方へがそれぞれ自覚できてる状況が違うから、違うんやと思う笑
わたしはわたしを曲げる気はない。
このまま「突き抜ける」。
基本、真っ直ぐなやつ。
お、うずまき、柱になる👀
柱的には、じっとして立ってるのが柱のイメージやけど👀
うずまきの場合は、ファンキーでフレキシブルな可動域無限なHASHILAで。
そう、何のためにはとても大切。
初心を忘れずに立ち止まるにはとってお大切。
でもね、その答えに固執すると、新しい発見を見過ごしたり、自由度がなくなる。
進むもやめるも全部自分次第で決めていい。
ぜーーーーったいに
ぜーーーーーったいに
その時の出来事は「おかげ」になるから。
「せいで」がおかげにかわったとき、視野が広がる。
そう感じていいんだって自分が許可を自分に出すこと。
制限しているのは全て「自分」だから。