「在り方」ではなく「在る方」。
「わたしがわたしで在り続ける」ことが一番難しいのか?!
これも刷り込みになるので忘れてね(笑)
今朝「わたしの普通」ってなんだ?って思ったことから気がついたこと。
歩道ですれ違うだけで「良い人と思われたい」と思うのだからして(それは本能ではないか?と言うのがうずまきの見解)、何かの瞬間に「ふり」をして生きているのではないだろうか?
その瞬間はいつも常にある。
自分の観念や信念、社会的な事柄に影響されながら生きている。
どちらにしても
「わたしはわたし」でしかないのに、何者かになろうとしているのだ。
「わたしがわたしで在ろう!」とすること自体が「はあ?」の世界笑
「あなたはあなたじゃない」なんて誰にも言われたことない(笑)
良い悪い、判断・解釈も全て「わたしが思うこと」なんだ。
それを全部ひっくるめて「わたし」なんだってこと。
と言うことで「在り方」ではなく「在る方」なんじゃないのってこと。
「我慢」という意味も違うんでないか?
やりたいことをやってないなんて「おかしい状況」ではないか?
生き物としてあり得ない気がして来た笑
動物たちは決してしない(と思う)ことを人間だけが「我慢してこそ欲しいものが手に入る」という思い込みをしてるだ。
我慢の本当の意味があるような気がしてきた。
素直に自分を感じられ「ひとつ」だと腑に落ちた時、また色々と見えてくるように思う。
わたしって、自分にしか意識向けてなかったんだなーって気づいた記事があってね。
男性ってこんな風に「愛する人」のことを思ってるんだ、自分に必死すぎたから感じられなかったと気づけたのだ。
周りの「もの」たちから「ありがとう」をもらい囲まれて来たことに気づいた昨日。
視点が変わって「同時に平等に」エネルギー交換をしているってことに繋がった。
何が言いたいか?
わたしが「自分のために生きてない」なんて彼にも何もかもにも「ために」なってないのだってこと。
しんどいふりも
天然で笑っているとかでもなく
わたしがわたしそのものでことが彼のためにもなって、わたしのためになるってこと。
嫌だと思っていることをやることって一番ナンセンスなんです(笑)
わたしがしたいからする!!以上!
これが「在る方」。
実はね「自分がこうしたい」と思って生きてきてるんだと思う。
だって、生き物だもん(笑)
そうじゃないって思い込んで生きてきた。
このカラクリって面白い(笑)
自分を知ることが難しいと刷り込まれたことで、そのまんまを認めることが本当に難しかった笑
なんか色々求めて生きてきたけど、それがダメなんだと思い込んで、求めているわたしを蔑ろにしていたんだろーね。
体の痛みがなんなのかを考えたときにこう思った。
やりたくないことをやってるんだー💢と思いながらやってるからかもね!って。
真実「やりたいからやってる」のに、それは嘘だーと思い込ませようとしているからなんだろうなって。
もっと、素直に体の声、心の声をわたしが聞けばいいのにねー
わたしはわたしでしかない。
わたしという「在る」ことをまるっと「そーだね」って。
まず、しゃべってから記事を書いているうずまきでした🤭