
「あなたのやりたいようにやったらいいよ。」
この悪魔の言葉に隠された「蔑ろ事実」を暴露。
いえ、気づいてからの自覚に至ったと言うお話し。
いやほんと!
言ってない?
わたしねこれいっぱいして来た。
いえね「してきた」って言うのはね、言葉で話したことだけではなく、行動とか生活の中に山ほど盛り込んできたってことなんすよ。
と言うよりも、常に、大げさに言うと、それが「軸」になっていたってこと!!
そりゃーもう、思いだけでなく体も全部「置き去り」「後回し」「蔑ろ」ですわ💦
こんなことし続けて来たわけだから当たり前よね「壊れてる」の。
動ける鬱だよって夫に言う始末。
ま、これも自分が表している訳で、とうとう噴出💣のいうタイミングを迎えた訳です。
この「あなたのやりたいようにやったらいいよ」の言葉の中にいっぱいの「蔑ろ」が隠れている。
「本当は、、、なのに」
「本当は、、、なのに」と
いいひとのふりをして、無理やり自分の思いを封じ込めて、本心ではない「あなた優先」をやっていたのだ。
これをあらしめるわたしをわたしが見るとね、承認欲求的なものが出てくる。
で、今度はこの「承認欲求」を見てみる。
認めてほしい?
ん?
これも「脳内ゲーム」で誰かの何かその辺にある「みんなが持ってる」と言われるもので埋めてないか?
ん?
あれれれれー
いろんな「欲しい」と思っている「承認欲求もの」全てが、そもそも「無価値」で笑
欲しいと思っていた幻想に酔っていたのだと。
「価値」という言葉すらも
なんだそれ?
くらいに思っているわたしが現れた。
無価値なんだわたしは!とそれを証明する現象を表し続け、納得できないわたしはいつまでも「価値をみとめろよ」と「自分は価値ある人なんだと」出ることばかりやり続け、疲弊する。
この脳内ゲームを自覚した時、外に出た感覚を覚えたのだ。
で、その脳内ゲームを表したわたしは「価値」そのものを捏造していたのだってことに気づいたのだ。
これは衝撃だった。
おおおおおおーーとっ。
見える景色が変わった。
今、出たり入ったり(笑)だけど、この感覚は出たものにしかわからないなーと。
忘れっぽいわたしでも、なんとなく「大丈夫」って思えている。
これが「自分を知る」ということなのだな。
4歳で釘付けになったあの幼稚園の石碑に書かれた言葉。
自分を知って らしくなれ
この言葉の意味がやっと理解できた。
まず持って、自分が何を思っているのかを知ることで、目の前の人を「見る」ことができるんだって。
現象はわたしを成長させる材料なのだ。
本当にそう実感。
他人がいて、ストレスがあってこそ、成長という未来に進むんだなー。
人は1人では生きていけないってそう言う意味だったのか。。。
何より自分を優先することで人生変えられると言うメゾットは山のようにあるが、まず自覚しないとそれらは全く役に立たない。
今なら活用できる気がするが、
実に自覚がはじまると、それらが本当にどうでもよくなるのだから面白い。
求めていたものに輝きなんてなかった。
これこそ脳内ゲーム。
今日という素晴らしい未来を創造する「自分の一日」を磨くのだ笑
自分から自由になる。
そんな感覚だな。