鏡の法則の本当の意味

基本能天気に生きてますよw
でも、超クソ真面目に遊んでますので
何事にも全力でぶち当たるのが快感❤️

わたしはなにに魂持っていかれるほどのめり込むか?

ということを探り当てたくて色々と体験してきた。
これ、そのまま「人生」と言えるねw

色々とゾーンに入っては楽しんで、お仕舞いにしてきたなー
なにかしら理由を見出しては「次に」と。

まだ、振り返るほどの人生ではないだろうが、それなりに?いや結構に楽しい人生だったんじゃん。

さらに、高みから「わたし」を見て大いに遊びましょうかね😁




昨日、夫氏と二人で知り合いのカフェに。
なかなかの旅路でね。
道中「マンウォッチング」。

7人掛けの電車のシートはちょっと自分をそれぞれが「小さく折りたたむ」ことが必須。
6人で座ると余裕があるが、それなりに「もう一人座れるのに」系の空気が流れる。

目の前で見たものは、、、
若い(だろう)女性が、2人かけれるスペースを1、3ほど余裕で背中をずらして座ったのだ。
残りの0、7のスペースにリュックを前に抱えて小さくなりながらお尻だけをちょこんと乗せて男性が座った。初老かなー。
その女性からしたら、お父さんくらい?(降りる時に見たら、これは言い過ぎだったわ)

で、その女性はマスクをしていて、目だけでその男性を睨みつけていた。

うそ!こんなスペースになんで座るのよ!
なにこのおっさん💢

そんなふうな目をしていたなー
(ま、そう見えるのもわたしの勝手な解釈ですが^^;)


何駅も前から座っていると、人の流れが見えてきて面白い。
で、わたしから見たら、
「あなたが(女性ね)背中をピッタリ座席に座り直して、少し詰めればストレスなくなるんじゃない」て感じたわけ。

自分はなにもしないで、相手にだけ「あーしろ」とか思うわけだ。

思わず、座り直したわたしは
「自分だけでもちょどいいサイズでいよう」と夫を自分に手繰り寄せた笑


最近「行動」に意識を置いているからかな。
自分か情報を取りもしない、体験もしないで「何かを言う」ってわたしの辞書にはないことを再確認しているからかも。

その様子をいていると、今度はこどもの泣き声が聞こえてきた。
あからさまに顔を歪める人、全く無関心無面持ちで、でも気にしながら携帯電話に没頭しているふりをしている人やら色々。


あんたも、そんな時代があったんだよ。
あんたも、そんな時代が来るんだよ。


公園で杖をついて歩くおばさま、カートを押しながら散歩するおばさま、
ヨボヨボの体をひきづって歩くおじさま、昼間っから缶ビール飲んでベンチにいるおっちゃん。

それを「汚いもの」みたいにみるこども達。

今の世界を支えてきた人たちだよ。
あんたも、そのうち行く世界だよ。


そんな「データ」をかなり集めたわたしは
今朝「鏡の法則」の本当の意味に気がついた。


目の前に見えるものは、全て「自分自身」なんだって。
「鏡」をみたときだけが「鏡に映るもの」なのではなく
「全て」が、自分の目に映る「自分が見ているもの」のだと。

なんか、書いていてあまりにも「当たり前」で、恥ずかしくなってきた笑笑


そう、目の前で、見ているものは「全てが自分自身」なんだということ。
いろん文献や動画で同じ言葉を聞いてり見たりしてきたが、それは誰かの言葉であって、全然理解できてなかったということを自覚した瞬間だな。

人のふり見て我が身を反省させて修正しろ!と言っているのではなく。

全部「自分」なんだって「認識」「自覚」「無自覚自覚」するのだよって話。


ジャッジ、いい、悪い、制限、世の中のどうこう全て不要で
そのまんま、受け取る。

あー
鏡の法則ってそういうことか。。。

ほんとに全て「ノウハウ」じゃないねー
その根底にあるもの「本質を見る」ことなんだなーって。


これ見つけて考えた人すげー!

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