もし、鏡という「物」がないとしたら?
ふとそんな風に意識が登った。
鏡があるから「わたし」という「モノ」があるんだと認識しているのかな。
もし、なかったら、、、、?ってね。
鏡本体でなくても、水面にうつるとか何か反射があって認識するかもしれないけれど
「映る」という概念やらがない世界だったら、それは見えた時点で「こんにちわ」だよね。
滑稽なパントマイムに見えていたが、実のところ素晴らしい着眼点よねー
「わたし」を意識するってどういうことだろか?
全集中だ!と言いながらもちょっと考えてしまったなw
そもそも「わたし」が見えていなかったとしたら?
あ、でも、鏡がなくても自分の目から見える「動くわたし」がいるよね。
その動く「わたし」の手が「わたし」を触ることもできる。
お、もしかしてこれが「リアル」なのじゃないかな。
SNSの世界がバーチャル。
そう定義するのは簡単。
でも、そもそも
どの世界もバーチャルなんだもん。
そんな区別をするほうが間違いが起きやすい。
「わたし」というものの「視点」は「わたし」にしかない。
そこを起点に見えるもの
「わたし」というものの「動作」は「わたし」にしかない。
そこを「起点」に触れるもの
その全てが「リアル」だとしたら、どれも「わたし」であって
どれも「意識」の対象なんだよ。
区別しては
いい悪いと判断する。
これは刷り込まれた癖だよね。
どっちも「わたし」で
どれも「意識」すりゃいいんだよ。
でもね😁
全方位、網羅してたら疲れちゃうw
月に表と裏があるように
太陽に昼と夜があるように
入口と出口があるように
「おやすみ」があっていいんじゃないかな。
隠と陽
とはいうじゃない😁
如何にもこうにも
「受け入れ」が最大の近道?
なんじゃやね?😎