この思い込みはいつどこで??

ほんと、不思議だ。

生きるって辛いこと
生きるってしんどいこと
生きるって我慢すること
生きるって耐えること
生きるって楽しむもんじゃない

とか?
さっき、わんこと散歩して「あれ?」と気づいてみた。


自分とは知らなければならないこと
自分とは自分らしくあることがいいこと

⇧これは石碑の言葉のまま、わたしが思い込んでことね。「自分を知って らしくなれ」

-大人になったら-
何になりたい?
どんな仕事したい?
どんな人になりたい?
尊敬するひとは?

この質問たち、こどもの頃嫌いだった。
卒アルとか書く時必ず出てくるやつで、未来像が想像出来ないわたしには苦痛でしかなかった。

何かにならねばならないの?
何かを目指さないといけないの?

よく分からない違和感だけが積み重なってた。大人の誰もこのわたしの質問に答えられる人はいなかったな。

そう、みんなこと妙竹林な質問に違和感を感じながらも「そう言うもんだ」と生きて来たんだ。



今朝の早朝散歩は、まだ明るくて、気候も良くなって朝から歩く人が増えている。
毎年同じように触れたり減ったりするね。

わたしはこの10年ほぼ毎日同じ時間にわんこと散歩してるので人の満ち引きを見ているからね。

そんな一時的に増える人の中に、わたしたち(わたしとわんこ2匹)を反対車線からじっと見るカップルさん?若い2人だった。

こちらの目が近眼なため薄ら目があったかな?くらいに感じ、そのままお互いすれ違ったのね。

そして、わたしはわんこ達とその道を折り返し、家に向かう。
その途中にある公園で、さっきの2人が荷物を脇に置いてブランコを高く高く漕いでいた。

そう。
そうやって「遊ぶ」こと、してないよね〜
ブランコしてる彼らを見た時、彼らもこの時間だからやるんだろうな、人に見られたら止めるだろうなーと思った。

つまり、
大人なんだから
T P O知らないの?
大人として
母親として
父親として
先生として
カウセラーとして
社会人として
男として
女として

なんだかんだ、ポジションいっぱいあるよね、ポンコツで出てこないけど(笑)

やらなくなったこと、多いよね。
ってか、出来ないと思い込んでる。
やってはいけないと、自分を律しているの方が当てはまるかな。

自立・自律ってなんだか目指さないとイケナイって思い込んでるな。
必死にいつか独りになるんだ、他の人みたいにちゃんと自分で稼いで死ぬまで何とか生きていかねばならないだから「自立せんと。。。」って思い続けてるよね。。。

それが出来ない自分を全くもって「ダメなやつ」と罵ってきたよね。

まあ、きっとそうなんだよ「ばかやろー」って声が聞こえてくるけどね(笑)

わたしときたら、これまでそんなにお金に困らず生きてきた。
ちょっと困ってもなんだか何とかなってきた。
お金持ちでもなんでもないけど、貯金もまっったくないけれど、わたしはのほほんと能能と生きている、これが事実。

実際そうなのに、あるものを見ないで「ないない」「出来てない出来てない」とないもにしか意識を持たない。

でだな。
ブランコして遊ぶ彼らに余裕があってやっているのかは分からない。

駄菓子菓子、じゃあ、わたしはどうなんだ?
毎日、ほぼ、次に何をやるか、今日はこれだけのことをこなすのだ、あーでこーでと「今やってること」よりも先のことを頭に置きながらやってないか?

それは楽しいのか?
やらなくてはならいのか?
それが望んだ人生か?
こどもの頃に聞かれた「大人になったら」の答えなのか??


今、わたしは日々「自分と向き合う」ことを軸にして、自分のやること思うこと全てを丁寧に見つめている。

本来「思考すること」が好きなわたしにとって、霧が晴れて、整っていく様はほんに気持ちがいい。
だから、楽しいのだ。

うずまきの #自分と向き合うシリーズ
は結構ビューが加算されてるが、スキを押さない、押せない人が多い。
ま、それはひとえに「自分よがりのつながらない言葉でよく分からない」記事だからだと思われる(笑)

だとしても合わせようとしないのがうずまきです。はい。すみませぬ。

そんなくだらないと思われようが
そんなことして何になるんだよと思われようが

好きだからやってるのだ(笑)
ある意味これがわたしの「遊び」だとしたら、もっと遊ぼうと今思った😆

そうか、どんなに恥ずかしいと「大人なんだから」とか思ったとしても、書く世界においてはあんまり気にならないよね(笑)

うん、もっと遊べるじゃないか。

長くなってきたな。

で、
生きるって辛いこと
生きるってしんどいこと
生きるって我慢すること
生きるって耐えること
生きるって楽しむもんじゃない

と思い込んだのはいつだろうね。

本来小さいこどもはこんなもん持ち合わせてないじゃない。
「こうして欲しい」をなくという全て行為でしめし、親に伝える手段を知る。そして思いのままに親を「自分の希望通り」に使うのだ。

親は「これかな?あれかな?」と目の前のよく分からない「こども」相手に一生懸命に「その希望」を叶えてあげようとする。

だって、親だもの。
え?そんなこと思ってやってなかった?
いや、どっか思ってたかも。
自分で産んだ子でしょ?ちゃんと見なさいよ!って思われてると思って子育てしてたわ。


あれ。
自分がこどもである思考と
自分が親である思考が行ったり来たりするぞー


で、こどもは親を振り回しているはずなのに、いつしか「いい子」になって、いつしかTPOが備わっているのだよね。

わんこのしつけとおんなじでさー
喚いているよりも
大人しくすると「美味しいもの」もらえるって、学習するんだよね。


おー
近づいてきたぞ!!
いつどこで?のわたしの疑問の答えに!!

わんこのおやつの使い方でのしつけは結構平和だけど、、、
わたしの場合は「暴力による抑えつけ」だから、蘇らせる記憶は宜しからぬものであるのは必至(笑)

掃除でもしながら思い出してみようか。

うーん
佳境だぜ🌟

それすら嘘だろうけどね笑
俄然、楽しくなってきた🌟

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