わたしはわたしの道を行く。やっぱそれやねー
とある人のnoteをチラ見した。
批評になるのだろうなー。
でも、書きたいので書くわ。
人生の羅針盤を「自分」でない「社会人として」に置いてきたその女性。
あ、わたしから俯瞰して見てよ。
全てが「自分」で決めてきたことであるけれど、結局の決め手は「社会人として」で決めてきていると思われる。
社会人の中身には「人として、女として、娘として、母として、会社の人間として、親として、人間として」など全てを含むこととする。その時その時「〇〇べき」と考えるので全て同じ。
何が言いたいかというと、
常に自分を欺いてきてるのだ。
自分の本当の気持ちを「なだめ、すかして、説得納得させて」丁寧に箱の中に押し込めて、無かったことにしている行為。
これが「病気」に繋がらなくて何になる?
自分を牢屋に閉じ込めて、何よりもひどい虐待してるんだよ。
で、いい子ちゃんをやり続けた結果、なにやら病気になって、療養。
日常から切り離して、特別に扱う。
でも、結局一番叫んでいる「自分の本当の思い」を無視し続けるので、何にも変わらない。
絶好のチャンスなのにね。
表面的には「正しく、自分の体の声を聞いている」と思ってるだろう。
でも、実際、現実に変化が起きていないのならばそれはやっぱり「自分との約束」を見逃してるのだ。
そのかたの記事を見て一番最初に反応した言葉がこれだ。
で!
書いている言葉や、じぶんから発する言葉は「一番近い自分に対して必要な言葉」なので!
ありがたや〜
そう。
これはわたし自身への「魂からの叫び」だと思う。
昨日2度目の組紐体験。
こないだと違う出来上がりを選択。
どちらも長く編んで、それをどう加工するかの問題。
1度目はストラップに。
2度目はチャームに。
編み方(組み方)が違う。
チャームは組み上がってから、結ぶことをした。
お隣でもう3年はやってらっしゃる男性が、糸を捌いてらした。
正面には初めましてで、やすみやすみで足かけ2年弱の女性。
どちらの方も「個」です。
同じ空間にいても「個」でした。
初心者のわたしへ気にしていらっしゃるエネルギーもありながら「個」でした。
それが心地いい。
魑魅魍魎の世界は相変わらず「ズレ」ていて、この組紐で感じられる「個」が犯されている感じかな。
わたしはどうあろう。
わたしはわたし。
どの道、
選択肢を増殖させて如何様にもあろうとするならば、それは確実に自分の目の前に表出する。
っているか、そもそも、たっくさん道はあるのだ。
それを見えなくしているのは「制限」だ。
「00として」を遂行するのはあんたの勝手。
制限は制限しか生まない。
誰かに「あなたのため」とか言われて制限するよう指示されたとしても、やりたかったらやればいいのさ。
そこで立ち止まればいい。
何かのせいにして自分と向き合おうとしていない自分と対面だね。
と、吐露して。
なんになるかわからない。
それでも、やりたいならやる。それだけだね。
家の中の不要な生地が生まれ変われる気がするから。
わたしの基本中の基本だね(笑)
何度も「命を吹き込む」こと。
甦れ!
蘇れ!
この世にゴミはない。