それを決めるのはあんただよ。
4時に目が覚めた。
トイレ行って、また布団に入った。
どくんどくん どくんどくん
枕に沈んだ頭と耳から聞こえる鼓動。
聞こえるというか、振動が伝わってきているのだよね。
こないだ、カフェのオーナーが話してくれた「自分でコントロールできないのが心臓」って。
ほんとそうよね。
自分の体って「所有している、支配できる」ものと思って生きてるものね。
っていうか、そんなこと考えることもなく、動かない体に文句言ってきたかも!
この足が、腕が、痛いから○○できないんだ。
とかさ。
こないだ、運転しながら「体さんよ、運転してくれてありがと!」って口に出した時のあの感覚は素晴らしかった。
感じた言葉は「気づいてくれてありがとう」だったね。書くとすごく陳腐だ(笑)
ふかーいところの、体からの喜びが聞こえてきたんだもの。長い長いあいだ待ち望んだ喜び。
心がこもってるかどうかで、言葉の煌めきも違って受け取るのかな。
これを書いている今は、朝食済んだところ。
布団の中で、鼓動を聴いて、書いておこうと思って、最初の3行だけ下書きしておいた。
心臓が動いている。
体内の細胞は常に生きていて、破壊と再生を繰り返している。
それも自分の意識下ではない。
そうしてくれとお願いしたこともない、はず(笑)
日々、活動するためのエネルギーがやってき続ける間、休みなく繰り返される。
細胞も「休みたい」と思うことあるのだろうか。
餌がやってきすぎて「ちょっとやめてくれー」ってなることが、なにか病変になっているのかもねー。
いや、つい細胞の気持ちに持ってかれたわ(笑)
そうそう、脱線ついでに書くけど、
「あと、これだけやり切ったら、横になるからもうちょっとだけ頑張って」って言いながら作業してたことあったなーてのを思い出したもんで。
その作業後、タイマー切れたみたいにダウンんしたね。
で、話戻ると
運動野や言語野やらは、自分の意識で動かしてる「こうしたい」が反映されるから、そう思ったり感じるのは普通のことだろうね。
(わたしの場合、言語野も自分の思ってないこと話すので、若干人とは違うかも笑)
心臓、呼吸、内臓の活動は、意識か寄り添うことは出来ても、コントロールはできないもの。
めっちゃ当たり前のことだね(笑)
でも、当たり前すぎて見えないものになってる。
この体があるから、思い悩み、考えることができるのだ。
これまで、いろんなことを考えてきた。
期待しない、否定しない、比べない、意識しない、気にしない、反応しない、感謝する、好きなこと、嫌いなこと、自分のこと、するかしないか、ゼロかヒャクカ、痛い、だるい、死にたい、消えたい。
全部、わたしの体の中身たちには関係ないなって(笑)
どうでもいいし、そんなもん、なんの餌(エネルギー)にもならんな!
細胞たちは、常に生きる方に進むだけ。
がん細胞さえも、ね。
発達のスピードで考えたら、がん細胞は素晴らしいエネルギー体なのかも。
動けなくなって、ベッドで日々過ごしている友人と出会いなおして思ったこと。
彼女はまだ自分の人生を生きてないのかもって。
細胞は自由意志で活動していない。
だけど、本体の指針がなければ、その活動を停止する気もするのだ。
つまり、本体の意識が「そうあるといいんじゃね?」って病人していたいって根底に持っていると、細胞たちは「仰せの通りに」と向かう方向を決めているのではなかろうか。
実は癌のお友達に話してて思ったのね。
「旦那さんに話せたのね、そうよかった、やっぱりねパートナーなんだよってとこまできたのね」
「治る?」
そう聞く彼女に「治るよ」って行った。
それも躊躇なく。
それを決めるのはあんただよって、心に秘めてた。
なんで、言わなかったのかは、わからない。
あっちの体が言わせなかったのかもしれないし。
万事塞翁が馬。
わたしの口も後悔しないようにできているのだからして、言わなければよかったも、言えばよかったも、ない(笑)
すごい境地だ(笑)
その日、その時、その瞬間、最善で全力であることは、今までもこれからも変わらない。
だってね、わたしも細胞と同じだもの。