犬の様子がわたしの進み具合
うちの子、11年前に滋賀の保護施設から貰い受けた保護犬。
どちらももちろん可愛い子犬だった。
雄の方は上眼使いで何に怯えているのか分からないが「男の人とこども」がダメだった。
お散歩にもこのまま行けないのかも、、、くらいに反応していた。
当時、犬のコーチングをしている人の動画を漁って観いていた。
しかし、わたしは間違った。
主従関係がちゃんとできてこそ、言うことを聞かせることができるのだと。
この間違いのおかげで迷路に突入。
持ち前の飽き性でちょっとやっては放置。
うまくいかないから放置。
路線変えてはイケナイ!
こどもが迷子になるじゃないか!とばかり必死にその教えを守り続けた。
いえ、ただそれしか知らなかっただけで「頑な」になっていたのだ。
で、客人が出入りできるようにと、5年間のとある日「飼い方教室」を広報で見つけた。
まさかの座学に実地が無料とな。
もちろん飛びつき、行って目から鱗。
主従ではなく、パートナーだと。
おやつ一つで「主人の存在を知らせる」って言いましょうか?
わんわんして見境無くなっているよりも、お母さんの方を見ているといいことあるよ!って感じ。
そんなこんなでお散歩が大変スムーズになり、やっと「うちの可愛いわんこ」となり、大変仲良く「パートナー」になれた。
それでも、特定の自分より大きいわんこにはまだ吠える。
このわんこの変化には「飼い方」だけが効果ありではなく、わたしの「自分との向き合い」も加担しているのだ。
わんわんと見境なくなる時、まるで「わたし」を見ていた。
仲良くなりたいクセにこうやって吠えかかる。
アプローチの仕方を間違っていないか?
愛の表現方法を習わなかったんだね。
人との関わり方を教わらなかったんだね。
優しく愛された経験をしてないんだね。。。。。。
今ではここまで素直に見てとれる。
優しく愛された経験をしてないんだね。。。。。。
ここ。
今では、他のわんこと「すれ違いスルー」できるほどに成長しているうちの子。
ご挨拶もできるのだ。
まだ、特定の大きいわんことはすれ違いなんて全く無理だけど^^;
でね、今朝近くのわんこもちのお家の前で、小型犬が宅内で吠えまくっている声がしたのね。
それ聞いて、思った。
わんこ的に最後の「特定わんこに吠えかかる」関門を超えられないのは、わたしの「自分との向き合い」がずれてるからだと思い込んでいたけど、すれ違いスルーできるまで成長したのは、それなりに正解で在って間違ってなかったんだよ。
無自覚の自覚なんて結構むずいことに取り組んできたことの成果じゃないか。
と、少しずつ朝が開けていく5:30過ぎの歩道で感じてた。
また、勝手に超笑顔になってた。
目の前の現象は「わたしが創っている」をジャッジなく超自覚したら「わたし」が穏やかになった。
その結果が「わんこの様子」で見てとれた。
彼はわたし進み具合を表してくれている。
どんどんと本音と建前が統合されていく。
つるんと「一つのわたし」が立ち昇る。
嗚呼、気持ちいい。