メンヘラって自覚からかな、うずまきの場合。
おはようございます。
うずまき🌀くらげですっ🪼
晩御飯を終えて、珍しく「読書」を試みた。
こないだメルカリで買った本。
チチ松村さんの「わたしはくらげになりたい」を捲ってみた。
あまり美しく保管されていなかったこの本はきっと水の中にdivingしたのだろうか、波打っている。
ま、捲りやすいじゃないか笑
話ことばで書かれていて、時系列であり、その目線に立てる感覚になるこの本は、まさにくらげ好きでしかない本笑
1/3ほど読んだけど、どこで展開されるのか?期待している自分に笑えたけど、全く展開のない、でも、くらげが生きて消滅して、対策してと暮らしが生き方がくらげに染まっているのねーって自分家に水槽があって水族館と行き来してるのは自分かと
錯覚しちゃう(笑)
在る意味、秀逸な作品ですね🌟
まだ、残り読んでないですけど笑
色々と、整って、循環が始まったら、水族館にくらげを観にいこう。
で、いつ「くらげになりたい」が出てくるのだろうか?
わたしに場合、なりたいと思ったわけではなくただ、頭に浮かんだだけでね。
そもそもわたしはくらげだったんだって思ったの。
その意味は?
さあ?
なんでもいいや(笑)
昨日、めっちゃメンヘラ現象が目の前で繰り広げられたのね。
自分もそんなことやってきたんだよねって再現ビデオ見たみたいに。
で、確信したね。
目的ズレてるよねって。
何やるにしても、そもそも何のために?ってそこを出して、そう思う奥底にある欲求は何?って自分の中と対話することがめっちゃ大事だなーって。
外側の不要な隠れ蓑的なもので覆われている自分の奥に在るものと、表出している欲求とは違うからさ。
本当に欲しいものをちゃんと見極めていると、ズレないって分かったからズレが見えるようになってきた。
ふー
ここかーって。
そうなの、いつしか「わたしが本当に望むものはなんだ?」てわからなすぎて探しまくった。
多分これが「自分探し」なんだと思う。
で、どこにも無かったのだよね。
自分が何が好きで、どうしたら機嫌が良くなって、上機嫌で過ごせて、期限が悪くなった時にどうすれがあやすことができるのか。
まったーーーーーく
わからなくなっていた。
大きな何かを探そうとしていたからかもしれないが、手前の小さなことから自分の機嫌の取り方を「自分探し中」に学んだ。
「これだ!」と目を煌めかせる。
でも、それはその人のものでわたしのものでは無かったというのがいつもの結論(笑)
そして、違和感が積み上がるのだ。
それでも、経験値も同時に積み上がるので、中途半端なりにも「ゼロ」ではないというのも事実。
今考えると、ここにどれだけの事実があって、わたしの勝手な解釈がどれだけ在るのか。
また良い材料(テキスト)を見つけられた。
この分解が冷静に出来るようになるためには「自分がメンヘラをやっていた」ということを自覚する必要があった。
これはなかなか痛い行為でしたね。
なるほど〜の世界。
メンヘラがだめで、辞めましょうって話ではなく。
メンヘラやってると損だよって話でもなく。
まずもって、それはなんだ?と興味を持って、もしかして当てはまる?
そして、だとしたら?と仮定する。
そしてら色々思い出して恥ずかしくなって穴があったら入りたくなる(笑)
だから、昨日のメンヘラ劇場を観て確信したわけだ。
こりゃ相手にされなくなるよねって。
はい、とぅいまてぇん。。。。
と、なりまして、すでに違う自分を確認できた事象でした。
しかし、世の中こればっかりか?
あ、それはわたしがその世界にいるからだね(笑)
で、わたし、どうするんだい?
ってことだわね。
ここで、やっと
ラスボスかも(笑)
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