わたしはわたし。

今日と言う「休日」を満喫した。

ただ生きている。
それだけでいい。
真実そう思っている。

最近出くわす現象を完全に俯瞰できている自分をまた俯瞰してもいる。

病人と
それを直す手伝いをする人を見ていた先週。

完全に「自作自演の劇場」を2人で演じきっていた。


空おかしい。
辞めればいいのにって、、、そばで手伝っていて心の底から思った。


そんな劇場(映画的シーンというかドラマと言いましょうか)が繰り広げられ、過去の3人のがん患者を思い出した。
3番目のそのシーンの時、そのドラマ辞めれば?って感じたね。

テレビで刷り込まれたがん患者のおしまいって言うのかな?
病気と言うレッテルを張ってしまったから後に引けないっていましょうか。


で、何が言いたいかって言うとね。
わたしはわたしなんだってこと。

何かになろうと願い追い求める。
それがどんなにもどうでもいいことなんだってこと。

願えば願うほどそうでない現象がおきるのだって。
頭でわかっていたけれど、腑に落ちたね。


みんな奥底に「愛して」と言う願いをもってるんだなって。
目の前の劇場は「お互いにOK」なのよ。
それぞれが求めている者同士が一致しているから引き合って「現象」としてあるのだと。

治して
治してあげる
救って
救ってあげる

治されたい
治したい
救ってもらいたい
救ってあげたい

結局スパイラル。
何も解決しない。
本当に自分が心の底から「欲しているもの」がそれじゃないから全然満たされないのだよ。

だから、同じことの繰り返し。


で、思う。
必ず生き物は死ぬんです。
早かれ遅かれ。

なんで、そんなに「生」に執着しているのだろかって。

今生きているってことから目をそらしているのだよ。
先の「死」を怖がるって。


いままだ、死んでない。
体の中では意識のない無意識の中で細胞たちは「生きている」。
わたしの意識では到底ない大きな力で生かされているのだよ。

いま、血が流れて、体中を駆け巡っているのだよ。

それに対して「嗚呼、生きている」って、それこそ「神業」で
感謝でしかないのだよ。

いま、この瞬間、瞬間が。
感動するよ常に。

何モノかにならなくていい。

いま、わたしはわたしなんだって。
細胞たちが「わたし」という形となって「成している」。

これが何よりも「わたし」なんだ。

求めるものなどなにもない。
いまも、これまでも、これからも「完璧」。
全て備わっていて、オートなんだって。

また、至ってしまった。。。。(笑)

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