光と闇の可能性
コンプレックス。
劣等感。
中学生の時に目がひとえだった女子が
成人したら、二重になっていた。
コンプレックス。
その悲しみを知ることができるのは
同じ痛みを持ち、同じ苦しみを
味わったことのある人だけ。
コンプレックスを手放すために
整形したり、肉体改造したりするのは
ぜんぜん良いことだと思います。
それでハッピーなら最高です。
好きな人がキレイになってくれたら
嬉しいに決まっています。
それよりも悲しいことは
コンプレックスに苦しみ続けて、
気持ちが闇に入り、
心の闇が続くこと。
苦しいし、悲しいし、切ないです。
コンプレックスの根本を
見つめるとわかることは、
そこに善悪はないということ。
そのカラダに生まれた本人に
罪はないですよね?
では、どうして
そのカラダで生まれたために
苦しまなければならないの?
神レベルの視点でいうと
そう感じられると思います。
でも、現実は違いますよね。
苦しみは人による解釈であり、
評価があるからですよね。
残酷な話ですが事実だと思います。
キレイな人を見ると
「キレイだ」と思います。
スタイルが良い人を見ると
かっこいいと思います。
そこに善悪はないけども、
評価はつく。人間による評価。
「他人がどう思っているか?」
ということ。
この部分だけ見ると、難しいです。
コンプレックスの壁を越えること。
永遠のテーマかもしれません。
でも、
人間の精神の可能性は凄いです。
そこに愛情とか、友情とか
目に見えない評価が宿るとき、
見た目のコンプレックスは吹き飛びます。
目が一重でも、デブでも、ブサイクでも、
人間には見た目を越える心があります。
たしか黒人奴隷は400年間も
合法だったと言います。
「黒人=奴隷」という昔の人間の評価。
人ではなく、道具という評価。
現在ではナンセンスですが、
400年間、合法って…。
例えが極端かもしれませんが、
奴隷という差別もコンプレックスの起源も
始まりは同じです。
そのカラダで生まれたことに罪はないのに、
そのカラダで何も悪くないのに、
他人の評価で悪にされる。
他人が劣等であると決める。
残酷な人間の側面です。
人を悪におとしめる残酷さがある。
見た目を越える愛情もある。
どちらもある人間。
人間がいちばん怖くて
同時に人間はとても素敵。
ジブリ映画「天空の城ラピュタ」のセリフで
こんなセリフがあります、
「いい呪文に力を与えるには
悪い言葉も知らなければならない。
でも、決して使うなって…」
人間の実相を掴んだ言葉だと思いました。
人間は何かを否定しようとすれば
どこまでも否定できます。
逆に、
何かを許そうと思えば
どこまでも許せませす。
この人間の「善と悪」の可能性。
この人間の「光と闇」の可能性。
驚くべきことに僕も、あなたも、
このどちらかを取ることができます。
今この瞬間も、今日という一日も、
どちらかを取ることができます。
そして、その選択肢は
僕たちの手の中にあるんです。
コンプレックスの闇に進もうとすれば
どこまでも闇に落ちていきます。
コンプレックスを光に変えようとすれば
どこまでも光に進むことができます。
これは整形とか、肉体改造とか、
見た目で超えられる壁ではありません。
精神の進化です。
何もトレーニングをしなければ
筋力が落ちていくように、
普通に生活しているだけでは
精神は進化しません。
精神とは、精神年齢です。
精神年齢とは、知恵ですね。
知恵=知識と経験。
コンプレックスを越えるための
知恵をつけていくこと。
知恵が自分を許し、人を許します。
知恵が自分を好きになり、
他人を好きになります。
知恵が闇から光に
僕たちを救い上げてくれます。
整形手術もあり。
知恵をつけるのもあり、です。
最近、そんな知恵が高まる
コンテンツを仕上げました。
特にハゲに悩む男性にお勧めです。
今日という日をどう過ごすか、
人間の「善と悪」の可能性。
人間の「光と闇」の可能性。
「善と光」が出せますように !笑
「するか、やるか今日」
「するか、やるか今」
今日も心の呼吸をしていきましょう。
たき