子どもを「よーーーくみた」上でどうするか
こちらの記事を読んだ。おもしろかった。
印象に残ったことを書き残しておく。
エンパワメントする
エンパワメント
=自分の中にある頑張れる力を周りの人がサポートしながら自覚していくこと。自分で自分をサポートできるようにすること。
今回紹介されている三ケ田先生は、困難を切り抜ける力が自分にあるんだと気付ける医療を心がけているらしい。
自分も大事にしたいこと。
その子なりの評価軸
他人との比較をものさしにするのではなく、その子が「楽しい、うれしい、自分は誰かの役に立っている」と思える経験をたくさんさせてあげることが大事。料理やキャンプなどのアウトドア体験はもってこい。
うーん。やはり野外活動(いろんな役立ち方を体感できる?自由度が高い?思い通りにならないことが多い?)の効果は大きいなあ。
学力だとかわかりやすい評価だけでなく、「評価軸(木を切るのが好き!魚をとるのが得意!困ってる人がいたら助けられる!おもしろいアイディアが出せる!)」が増えることの大事さがここでも言えそう。
でもこの「色んな評価軸」(=その人なりのいいところ?・特徴?)の視点、引き出し?的なものが私はまだまだ少ないのだろうな。経験を積む・色んな世界・立場を味わう、ことがここの引き出し増加には繋がりそう、抽象的だけど。
「子どものことをよく見る」とは
=子どもの目線で、その子に何が起きているのかを理解する努力をすること。
なんでもそうだけど、「目の前にある状況」だけでなくその奥にある「背景や文脈まで」読み取ることの重要性。
うむ。”その奥にあるもの”をみるためには、そのための視点なり知識なり経験なりが必要な訳で。学び続けよう、ってことだなぁ。。
大人が前に出てくるのは違う。
まずはその子のことをよーーーーく見ること。その子に何が起こっているのか、どう伝えたらその子に伝わるか、を丁寧に見る。
大人の価値観や経験で判断するのではなく、子どもの視点から考えること。
いちばん大事なことは、本人自身をエンパワメントすること。”本人自身に気づかせること”、
だから、周りの大人が「援助してあげてます」「治療して治しました」「かっこいいでしょ私」はそれを台無しにする。ダメゼッタイ。(自戒)
どうしても物事をみるときに、良くも悪くも自分の経験や価値観というバイアスはかかる。
それをどれだけ取り外せるかは、「こういう客観的な知識を身につける+こういうマインド(自分もバイアスかかってるかもと思い続ける)」なんだろうなと現時点では思う。学び続けよ。
「まあ、いいか!」ほどほどの重要性。
「100点満点の関わり方を目指さずに、ほどほどでいいのでは」
「まあ、いいか」と言う練習。子どもたちが自分で自分の心を緩めることにも繋がるそうな。
大人側がこういう姿勢で生きること。。自分も訓練。
「まあ、いいか!」
おわりに
「児童精神科医」
初めて知った職だったけれど、とてもおもしろいし素敵な職業だと感じた。しょうもない完璧を求めてメンタル崩しがち&人間の内面に強い興味がある自分。
”児童精神科医になる方法”とかを具体的に調べちゃうくらいには興味をもった記事でした。おもしろかった。
児童精神科医じゃなくても、やっぱり数年後大学院行くとしたら心理系もおもしろそうだなぁ。
では!
って終わろうと思ったんだけど、
その後にこんなおもしろい記事も見つけてしまった。
うん。この視点もそうだなあと思う。
いい意味で”わからんものはわからん!”って開き直って変に子どものために動きすぎないこと(”子どものために動かない”をすること)接すること。
自分の中で、今回の児童精神科医を「子どものことを極限にわかろうとする人(なるべく察して先回りして行動)」と解釈してしまって、「そうありたい!」という思考になっていたけれど、すべてがそうではない、と心に留めておこう。
まあ対象とする子どもの状態?的なものもちょっと違うのかな?と思いつつ。
児童精神科医は「表出する程のなにかしらの困難さ」をもった子どもたちに接する時に、「なるべくその子のことをわかろうとする(時に察して先回りして行動)」するけれど、
いち大人として子どもに接する時には、「察して先回りして行動しすぎないようにすること」が大事なんかな。
この理由をうまくまだ言語化できてないけれど。”社会はそうではないから・依存をうまないようにするため・自律させるため”的な?曖昧だけど。
うーん。ぐるぐる考えた結果としては、
・子どものことを理解しようとするマインドは持ち続ける
・でも、いい意味で”わからねえよ!”っていう開き直りマインドをもっておく
・”察する”ことはするけれど、その上での”行動”は、時と場合によって使い分ける。
(変に察して先回り行動してもその子のためにならないよね)ってこと。
うん。おもしろかった!