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momyoraratityan
幸福に生きるということ。それは、
人生論ノートを側目に、
私はかくのごとく考える。
幸福に生きるということ。それは、・・・・・・・・・
成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。(三木清、1954、74)
「他人と比べるな」
という文言は非常に有名だ。耳がタコになるくらい、嫌というほど耳にした。
この言葉を聞いても、今まではその本質というか、真意が分からなかった。
しかし、この文章を読むと、そうした淀みが肺の下あたりから、スーっと流れていくような感覚を覚えた。
成功とは、一般的なものなのだろう。何か共通の尺度が存在して、多くの人で共有することが可能なもの。
一方で、「幸福」とは、ソフィストの考えに似ているのもしれない。
「人間は万物の尺度」と言うように、「幸福」には誰彼もが理解し得る基準が存在しない。
とどのつまり、極めて特殊な存在なのだと思う。
成功=幸福
不成功=不幸
という一般化は、幸福とは何たるかを理解していない人のものの言い方なのだろう。
というかそもそも、成功しなければ幸せになることが出来ないなら、とっくのとうに、この世界からグッバイしたいところだ。
幸せになるためには、成功は必要ではないと知ることで、幾分か気持ちが安らぐ。助かる。
なおさら、「自分を他人と比べてはいけない」という一言の意味が理解できた気がする。
アタラクシアがやはり一番だなぁ
と
今日も大学生は惟っている。
引用文献:三木清. (1954). 人生論ノート. 新潮社
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