言語の生成過程に共通点があると、とある大学生が考えてみる。
歌から言葉
最近よくnoteで書いているのですが、岡ノ谷一夫さんが書いた「言葉はなぜ生まれたのか」という本の中にある
とある仮説があります。
言葉は歌から由来するという考え方です。
ここ最近聞いたなかで一番興味深いと感じた考えです・・・!
3つに共通するもの
そこでこの考えを基にして、私はあることを考えました。
歌から言葉ができるというプロセス。
赤ん坊が言語を学習するプロセス。
クレオール言語ができるプロセス。
この3つには、それぞれ共通するようなものがあると私は考えたのです。
それが
「全体➡部分➡全体」
というプロセスを経ているということ。
では一つずつ説明していきましょう・・・!
歌から言葉ができるというプロセス
これは先ほどある通り、岡ノ谷一夫という方が考えた仮説で、
歌から単語が生まれ、長い時間を経て「言葉」へと変化していったというものです。
歌(全体)
単語(部分)
言葉として実用的になる(全体)
赤ん坊が言語を学習するプロセス
これは、
赤ちゃんが両親の「言葉」を聞き、(全体)
そこから喃語、一語文、二語文を話すようになり、(部分)
両親とコミュニケーションができるほど言葉を使えるようになる(全体)
って感じ。
クレオール言語ができるプロセス
元々の言語(全体)
お互いの言語で作り上げられる即物的ではあるが使用される言語(部分)
何世代かを経ると、ある種の母語として使われるようになる(全体)
こんな風に言葉の生成には
「全体➡部分➡全体」という法則みたいなものがあるのではないかという「仮定」を立ててみたわけです。
あくまで「仮定」です。それも一大学生の。
まぁ私の専攻は言語学でも、生物言語でもないので本格的な研究みたいなものは無理かもしれませんが
自分なりに色々と考えられればと思います。
外国語の習得
ここまで考えてくると、外国語学習も
「全体➡部分➡全体」という流れで学ぶことが自然なのでは?とも思うのです。
しかし通常の外国語学習は、最初の「全体」が抜けがちです。不思議です。
確か「言葉はぼくらの音楽だ!」という
本に外国語学習に関連して
「全体➡部分➡全体」
という流れで学習しても問題はないみたいな考えがあった気がするので、あながちこの考えも完全な間違いではないということでしょうか・・・。
では、今回はここらへんで。