ヒビノキヅキー:関数と座標のゲシュタルト
「日々の気づき」をなんとなく片仮名で打ってみたら、なんとなくいい感じの語感が見つけられる言葉になった。なんかドラマツルギーとか、オフロスキー(椅子のキャラクターが出てくる番組のやつ)とか、十二鬼月(鬼滅の刃出ちゃった)と同じような響き。
ということで、日々の気づき、これってもしかして?と思ったことを、「ヒビノキヅキー」としてここに残しておこう。
まず、その「ヒビノキヅキー」に至った時に、急いでメモした内容がある。下の荒い画像。
塾のバイト(最近本をよんで知ったんですが、ベルギーだかデンマークだかの国の中学生の最低賃金(時給)って、日本の最低賃金(大学生)よりも全然高いんですね~)
をしている時に、いや塾から帰って、そういえばと思い立ち、この内容を書く。中学生の関数問題なので、まぁそこまでは難しくはない。ある中学生の面倒を見ている時、その子が苦戦している問題と、そのポイントから、大学で学んだことを思い出したところ。
荒い画像んとこには、
ー6+2s,2/3sとかいろいろ書いてある。とある関数の問題は、この「ー6+2s」というものを、時間の概念ではなく、座標として捉えることがポイントなんですよと教えている時に、ワタシは何故かゲシュタルト心理学の「ゲシュタルト」という概念を思い出した。
ゲシュタルトとは、要素に還元できない全体像・知覚の在り方。まぁとりあえず、メルロポンティの「地と図」という(現象学にも影響を与えている)知覚の在り方が関連している(というか関連していなければおかしい)ものだ。
関数の問題では、「ー6+2s」という要素は、「s(second)」という文字が入っているが、座標として捉えるという、関数としての適切な「地と図」を想定するというか、そのように捉えることが大事なのではと思っただけというか・・・。
まぁ・・・・・・とりあえず。物事の認識や知覚というものは、ゲシュタルト的に捉えるものであって、そして数学においても、ってか問題を解く事だけに限られてしまうのだけれど、というか問題(受験的)を解く時には、想定されているような、「地と図」、全体像と一つの要素を理解することが重要なんじゃないかっていう、多分全然役に立たない推測やなこれ・・・。
まぁ、ゲシュタルトの復習が出来たから、いいや。
と
今日も大学生は惟っている。