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歴史 2022/06/14

昨日の夜、形容し難い苦しさが胸の奥にあって、Twitterのタイムラインを見ていたらそれは肥大化して、その苦しい状態では絵も描けず執筆も出来ず、延々とタイムラインを見続けるという自傷とも呼べるような負の連鎖にハマっていた。久しぶりに、明確な理由がないのに泣いた。悲しくて悔しくて情けなくて涙が溢れた。何を思考するにも負の感情がつきまとい、風呂に入らずに寝た。朝起きた時はまあまあ正常に戻っていたが、また鬱々としてきて、作業所を休んでしまう。休んだけど散歩と称して歩いて30分くらいのショッピングモールに行った。お昼を済ませて本屋とか雑貨屋とかを巡って、スタバでメロンフラペチーノを飲みながら小説を読んだ。その時はとても穏やかでよい心地。帰り道はTwitterを眺めたりしがちで、また憂鬱になってポロポロ愚痴をこぼした。時間を置いて、優しいフォロワーがリプで声をかけてくれた。ありがとう。

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こうしてエッセイみたいな、日記みたいな記事を不定期で続けているけど、なんかもっと言葉を使ったクリエイティブなことに挑戦したい。小説はその一環で、まだ他にもできることがないか探している。スマートフォンでぽちぽちと、手のひらの中で完結する創作は、おままごとみたいな楽しさがある。気楽でいい。大きな絵を描いたり刺繍をしたり、机いっぱい使って創作するのも楽しい。でも、小さい画面を見つめてそこに自分の世界を文字だけで作るのは言葉で表現できないけど、特別な感じがあって、自分の中の子供の心をくすぐられる。
昔、小さいノートに等間隔に物の絵を描いて、下に描いた物の名前を書いて、それでびっしり埋め尽くして遊んでいたことがある。これは最も楽しかった遊びな気がする。今やっているスマホでの執筆は、それに似た何かがある。小さな画面が小さな絵と文字で埋まる快感と、それは自分が紡いできた宝物だと言う自覚。アナログがデジタルになって、文字だけになり字数も増えたけど、iPhoneの純正メモアプリに書き溜めた小説や、箇条書きのネタ、日記を一覧で見ると、自然と笑みが溢れる。ここにわたしの小さな歴史がある。

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