日本のアート大学の中身が無能の集まりである理由。創造性(Creativity)に公平性なんか無い。

日本のアート大学の中身が無能の集まりである理由。創造性(Creativity)に公平性なんか無い。

絵画受験は公平性を担保出来るが

それって何の意味があるの?

と言う事を説明します。

基本的に

貴方が正しいと思っている感覚や常識が、正しいとは限らない

言い方を変えると、貴方の認知バイアス、思い違いが世の中のデファクトスタンダード(事実上の標準)では無い。

世の中に存在する大多数が合意しているデファクトスタンダートが必ずしも論理的で合理的では無い。

言い方を変えると、常識っていうのは大多数が合意したふわっとした意思決定で、それが必ずしもデータや事実に基づく

最もらしい事象とは限らないという事です。

さらに言うと、データに基づく情報の方が、常識や、デファクトスタンダートよりも遥かに有用でありマシだが

だからと言って、データが必ずしも正しいとは限らない。

なので、正しい、正しく無いと言う虫眼鏡でモノや事象を見る行為は極めて危険Death。

しかし多数は正しい、正しく無いと言う倫理観を使って意思決定をしております。

非常に人間とは厄介な生き物です。

この世に存在するのは、最もらしい確率であり、常に不確実なのです。

正しい事象など何一つ存在しないのです。

では何故日本の美術大学がデッサンなどを使った、昔でいう所の300年前のパリの美術アカデミズムのような方式を

未だに採用しているかというと

・前例主義
・お馬鹿さん
・外野が煩い

と言う理由が主な理由です。

と言うのは、例えば、創造物を評価する上で、公平なぞありえないと言う問題が発生するのです。

例えば、

Beatles と Queen

どっちの音楽の方が優れているでしょうか?

では

クラシック と EDM では?

新人のクソソング と 有名音楽家の曲 では?

どれもこれも全部客観的に公平に評価することなんて不可能ですよね。

要するに創造物とは好みの問題なのです。

例えば、有名な作家の1億ペリカで取引されている作品だって、その作品に対して、1億払いたいと言う動機が無けれは1億の価値にはなりません。

あくまでも1億という数字は市場価値であり、その物が持っている価値ではありません。

なので創作物には公平なんて存在しないのです。

所がここで発生する矛盾が、大学受験です。

大学受験をして、志望者を篩に掛けなけれはなりません。

そしてその採点を巡ってはなるべく公平に判断しなければなりません。

日本の医学大学が女性と3浪以上の学生に対して減点措置を行ったりしたらハレーションが起きますからね。

そして、絵画受験において、デッサン力を基準に判断する方法は極めて客観的に判断しやすいのです。

何故なら

どれだけ写真に近付けて絵を描けているか?

を判断すればいいだけですからね。

これなら超絶に簡単に客観的に公平に判断出来ますよね。

誰が見たって大元の素材と比べてどれだけ写真のように絵が描かれているか?を判断すればいいだけですからね。

これだと、受験する側も、他の人のデッサンと比べて自分は未だ未だデッサン力が足りなかったな。

と納得が出来ますからね。

なので、受験する側も される側も

デッサン力を見るテストは極めて客観的なのです。

所が、振り出しに戻りますが

客観性は担保できるかもしれないが

デッサン力を判断するシステムを使うと

村上隆のいう所の呪いにかかるリスクが高まります。

言い方を変えると客観性を担保する受験をする事で

人々は負債を抱える事になるのです。

それは、客観性を担保するために行うシステムを使う事で、そのシステムの下で育った卒業生達は、プロになる確率が非常に下がります。

・合理的だが公平性のないシステム その代わり、将来の0.1%の学生がプロになれるかもしれない。(海外の美術大学)

・公平だが極めて合理性の無いシステム。なので、将来の0.01%の学生がプロになれるかもしれない。(日本の美術大学)

二つのシステムがあったら何方が果たしてその学生の将来にとって有用なのか?

という話なのです。

海外のヨーロッパ型のArt university では極論すると、先生が好みで学生をピックアップします。

要するに、Art university の教師が伸びしろあると思えば合格するし、伸び代無いと思ったら落ちます。

これだと、生徒からは、なぜあのクソみたいなポンチ絵を描く奴が受かって私が受からなかったのか?

みたいな不満が蓄積します。

正直な話、

・にランダムで合格するかしないかを判断する方法

・大学の美術教授が判断して合格するかしないかを判断する方法

何方も当たる確率は変わりません。だから、仮にヨーロッパ型の美術大学に不合格になったとしても、

場所を変えれば十分当たる余地はあるので何度もトライすればそのうち当たります。

よってこの話の核は

公平を担保したクソなシステムを使うか、公平性は無いけど、将来の確率がほんの少し上がるシステムを使うかの差です。

最後に超絶クソポエム

もし貴方が美術大学に進学したいと思うのなら、今貴方は選択の帰路に立っております。

日本のクソシステムで学ぶために2年間をドブに捨てる選択を選ぶのか?その2年で英語の勉強して(英語でなくてもいい)海外のましなシステムで学ぶのか?

選択の幅は常にあります。

少しでも気に入ったり参考になれば幸いです。 いただいたお金で本を買いより有益な情報をお伝え出来れはと思います。