そして、バトンは渡された 読書感想文

父親3人、母親2人。複雑な家庭環境で育った優子は可哀想だ。
それが世間の目だ。だけど、優子は平気だ。全ての親から色んな形で愛されていた。別れることは辛い、残される時も、自分で選択する時も。優子は周りよりも、別れを経験してきた、だから、人と親密な関係になるのが怖いのだと思う。高校生の時にいざこざがあった時も、優先順位を考えるくらい冷静だった。
別れることって辛いよね、出会ったこと/今までの関係性を否定したくなるくらい。別れることが辛くならないように優子は成長していったように感じる。

自分も親に申し訳なく感じることがある。子供は一人では生きられないのは分かっているが、年を重ねるにつれて、自分にどれだけお金を掛けてもらったか身に染みて感じる。大学では1人暮らしをしているし、浪人もした、大学院も行っている、中学生の時は部活ではなくクラブでサッカーしていた。幸せなことだ、不自由なく生活させてくれた。お金をかけさせないことが親孝行だとは思わないが、申し訳なく感じる。大学生になって実感した。
優子は小学生高学年の時にピアノをねだった。その結果、梨花さんは泉ヶ原さんと結婚し、ピアノも得たし、生活も一変した。自分のわがままのせいで、梨花さんに無理をさせただろうと思っただろう。梨花さんはそんなことは思っていないのに。
森宮さんにも、ピアノを不意にねだってしまった。森宮さんは買ってくれようとしたが、優子は必死に訂正した。申し訳ないから。森宮さんはそんなことは思っていないのに。
自分にも親の気持ちはわからない。親になったことがないから。でも、「明日の楽しみが2倍以上にになる」という言葉が本文中にあった。すごく響いた。自分も実感してみたい。
島田紳助のエピソードトークを思い出した。50歳の芸人が子供もいるのに、ずっと親に自分のおもちゃをおねだりし続けたと。親が亡くなった際に、自分は親孝行できてないと思ったらしい、でも、芸人さんがずっと息子のままだったことは十分に親孝行だろうと。
親孝行とは、親との時間を作ることが一番大事であるように感じた。自立する必要はない。

親と再会を果たしていくうちに、優子がより一層、すべての親から愛されていることが分かった。当たり前のことではないかもしれないが、このような世の中になれれば良いと思う。
水戸さんを「お父さん」と呼ぶ場面もあった。優子はみんなから愛されたし、みんなを愛していた。恨んでなんかいない、幸せだった。

福山雅治の「家族になろうよ」にこんな歌詞がある。「一歩ずつ与えられる人から与える人へ変わってゆけたなら」。好きな歌詞だ。与える人になりたい。


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