狂っているのは誰だ? ジョン・カサヴェテス映画 『こわれゆく女』をみた
<ジーナ・ローランズとピーター・フォークがみせるアメリカの家庭>
先日カサヴェテスの『こわれゆく女』をみてきました。東京でフィルム座という上映会があったのです。(タイトル写真はフライヤーより引用 ©︎1974 Faces International Films.Inc.)
『こわれゆく女』
この映画で描かれるのは家庭や世間体、性差、社会構造による問題によって、家庭と個人がごちゃごちゃに壊れていくアメリカの家族の物語です。
『こわれゆく女』の中では暗喩として引き戸が何度も登場します。玄関から入って左手にある部屋へ入るには引き戸をスライドさせる必要があるのですが、この扉がそれぞれの人間性や問題を表しているように感じました。
肉体労働者で暴力的な夫(ピーター・フォーク)は力任せに扉を開けようとするのですが、扉はガタガタとひっかかり開きにくい。それでも強引に力で開けようとするのが夫。
ところが、純粋な子供たちは、力が無いはずなのにスルッと扉を開けてしまう。
何度も劇中に登場するこの扉。玄関とキッチン(そこを片付けると寝室にもなる部屋?だったかな。その部屋にはバスルームもあります。この辺はもう一回見て確認したい点)を分ける扉、それは外からどかどかと侵入してくる世間と家庭を分ける線でもあるし、個々の人間性の縮図として色々な開き方をする扉でもあります。映画の多くがこの扉で物語られていると感じました。
ジーナ・ローランズとピーター・フォークの演技がすごい
夫妻であるこの二人を中心に物語が進むので当然ではありますが、演技が素晴らしいです。ピーター・フォークはもう本当にブルーカラーの肉体労働者の暴力夫だし、ローランズは心根が優しく、自分に正直な表現をするために世間とは少しずれ、理解のない夫によってさらに狂わされていく女性を見事に演じていました。最終的には自分の思うように暴力的な力でねじ伏せようとする夫の態度。彼女が押し込められ二人がすれ違っていく姿は苦しくなるほどです。
タイトル『こわれゆく女』
タイトルは女性が壊れていく映画を感じさせますが、現代の中でみれば「壊れていくのは夫のお前だピーター!」だし「早く帰れ無神経親戚一同」といいたくなる映画です。詳細は映画をみてください。
私の中では妻であるメイベル(ジーナ・ローランズ)の中に、小説『ベル・ジャー』(シルビア・プラス著)の、見えないガラスに閉じこもった主人公の一片や、映画『WANDA/ワンダ』で、強盗と逃避行をすることになった、やり場のなさを漂わせる女性ワンダと重なるものをみました。
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結果的に感じたことと気になること
鑑賞後になんと言っていいのか分からなくなる映画でもあります。とんでもなくシリアスなのだけど、最終的にこれは何を見せられていたのだろう。強烈なブラックコメディ?とさえ考えてしまう映画でした。
ストーリー以外にも劇中で男どもが狭いテーブルでスパゲティを頬張るシーンの見事さ、ズームアップされた肌や指先から溢れる労働の現実、カットのうまさと細やかな演出などジョン・カサヴェテスの見どころがたっぷり詰まった素晴らしい映画です。
そして、個人的に気になっているのは、映画の最初の方でカメラのアイレベル(目線の高さと水平)が若干上からになっている点です。ほんの少しカメラアングルを下に振ることで、写っている扉や壁等の直線と画面の端で見切れ、斜めになった線に差異が生まれ、ちょっとした違和感があるのです。
とくに前半に何度かそんなシーンがあったように記憶しています。不安定感や見ている側への目線の演出なのかなと思うのですが、狭い部屋での撮影環境の為かもしれません。ちょっと気になってます。
ということでジョン・カサヴェテス監督『こわれゆく女』の感想でした。見落としている点も沢山あると思うのでまたいつか見たいです。どこかで上映していたら是非ご覧ください。ではまた。
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