『ルート29』にもたれかかって
ルート29を観てきた。何気なく見たにしては、余りにも揺さぶる存在だった。
皆に観て欲しいので解釈は最後にします。まずは簡単なあらすじとネタバレにならない程度の感想を言います。
まず、この映画は人をとても人を選びます。と言うのもリズムが独特でスローテンポ、説明されない存在の列挙なので情報の流れの速い現代人には受け入れられない人も多いと思ったからです。現代美術を観ているような、静けさと造形の奥深さがあった。退屈さも本作品を形作る大事な要素なので時間的拘束を受ける映画館でぜひ味わって欲しい。出来る事ならば、人の居ない映画館で観て欲しい。
ていうかあらすじ書いてあったのでそのまま持って来ました。多分これだけでは伝わらないでしょう。本当にすごい。異様さおかしさがずっと映像として流れていて、存在丸出しになっていた。単純な奇妙な友情と呼ぶには魂が抜けている。まるで森の生物をルーペで観察しているようにも感じる。対象が数人の人間と言うだけの話。
これは道を歩く物語なのだけれども、登場人物は道から外れた人ばかり。
異様と呼ぶには自然で奇抜と呼ぶには連続性がありました。いや、唐突さは無限にある。けれどもどこか愛せて納得感がある。出てくる人間は不自然さを感じるんだけれども納得してしまう不自然さでした。何というか、人間は過去の積み重ねで偏っていく、その要素が人間の皮に包まれ、眼前まで迫って突きつけられる。それは普通から見れば不自然で合理が無い言動の様に思えるのだけれども、道を外れた人からすれば普通とは理解出来ない合理なのではないでしょうか。
ルート29。つまり国道29号は、大衆が通る人生そのもの。
ふぅ。ちょっと落ち着くか。良い所を言います。綾瀬はるかが演じる主人公のトンボはちょっと所かド級の社会不適合者なのだ。全然大人として機能してない部分ばかり見えてしまう、思わずまだ精神的には子供なのかと不安になるのだけれども要所要所で喫煙するシーンがありますタバコを吸っているトンボはなんだか安心して見られて、大人の象徴として、そして彼女の人生の積み重ねの象徴としてタバコを使用しているのがとてもとても好きでした。
登場人物が全員奇人だと言う事が過ごしやすい時間を生み出していた所もなんだか良かったと思えます。世間が求める感動や恋愛では生み出せないズレがずっとそこにあり、なんだか居心地が良いなと思いました。私はこの世の中の生き辛さから目を背けて生きてきたけど、わざとらしい肯定からの世間が受け入れてあげるよのニヤついたハグとかも無かった。意図が全く見えず極力排斥しているようにも思えずっとズレている。ただそれだけが本当に嬉しかったんです。等身大ってこう言う事だったのかもしれないね。
ここから下は映画の解釈、感想をネタバレを交えて語ります。まだ観てない人は早く観て下さい。
・魚は何だったのか。
ハルの概念である魚、急に出て来て困らせるなよ。まぁそれは良いとしてですよ。私は『孤独』の概念そのものだと考えました。ハルが熱を出した時に観た夢の内容を要約すると「魚に触ろうとすると手が一体化しようとした、その時トンボが手を切ってそのまま宇宙で一人ぼっちになってしまった」魚に触れる描写はハルのお母さんであり様子がおかしくなったお母さんと一緒に居る事で同じ状態になってしまうんじゃないかと言うトラウマを想起させ、トンボが自由にしたけれども同時に肉親との繋がりを断ち切り孤独になる恐怖を感じている。その証拠にトンネルの暗闇を怖がって迂回したり、夜の国道29号の終わりには戻って来れるように石で目印を立てていますね。そして捲られたマンホールの下水道に石を落とした時は長い時間を掛けて見ずに落ちる音がしてました。孤独は遠い所に存在している事が示唆されていましたね。水の中に入るには長い暗闇を掛けて遠い所へと落ちていかなければならない。
そしてトンボは「砂漠で魚が泳ぐ夢を見た」と言ってました。孤独を持つ者にこそ魚は現れるのであればトンボとハルは同士とも言える、だからこそハルはトンボが居なくなった時に必死に探し、泣いたんだろうか。そこは最後の砂漠で二人で語り合った時に明示されてたからええか。
ていうか山から始まって最終的に海で終わったからずっと魚、水あたりがキーワードになってる事はなんとなく分かるんじゃないんですか。トンボとハルが最初に車に乗っている時やハルを探している時にもブクブクと音がなって居た、孤独の生きずらさを表現してるのかもしれません。
鮭と言うのも川から海、そして川に戻ってくる生き物です。シャケ師匠はハルに言葉を伝えるために海から川に戻ってきたんでしょう。だからシャケなんでしょうか。ブクブク。
・道を歩く、止まる、走る、踏み外す
道を外れた者が、道を歩く物語だと私は語った。そして道には色々な人間が出てきます。トンボが窃盗した車を奪った赤い女も居ましたね。そもそもトンボ車盗んでんだよな、すごいわ。トンボが気まぐれで手に入れた車も生きるスピードが違う富裕層に見える、ガンガン道を進む人間に奪われてしまいまう。二人が道を逸れて遊んでる間に。生き辛いですね。
川の父もドロップアウトした人間です。でも彼は自分で外れる事を決めたんですね。一方で車がひっくり返ってしまったじぃじも居ます、彼は事故で外れてしまったように見えます。心ここにあらずの状態で立っていたので恐らく認知症や交通事故の回避出来なかった理由で道を外してしまった人間のメタファーの様に思える。最後には家族へと合流したので周りの人間の助力があれば社会復帰出来るの示唆なんでしょう。で、なんでカヌーなん?思ったんですけどカヌーって水に沈まないんですよね。
それで言うと森の父の息子も初登場時には川に入っていたなぁとか思い出しました。孤独では無かった人間と、半分孤独に埋まりそうな人間。そしてじぃじと別れた後には雨が降りトンボとハルは濡れてしまうんですよねぇ。その後の牧場の男が傘を置いて言ってくれたのは良かったね……あれ好き……。あっそう言えばハルが水たまりに飛び込んで遊んだ後にもトンボも飛び込んでたな……思う所がいっぱいある、もう一度見たいなぁ。
話を戻そう、じゃあ道を真っ当に進んできたお姉ちゃんはどうでしょうか。学校からの帰り、ハルとトンボは歩いていたけれども姉はキックボードに乗っていました。その後なんでこんな仕事してるんだろうと愚痴をこぼしていました。速度は違うけどいつでも降りて歩けると言う予防線の様に見えます。愚痴も本当はこんな道進みたくなかった。あの発言の真意はこんな道に迷ってる人間が道を示す教師と言う職をすべきでは無かったと要約しても良い気がします。それでも道は続くんですね。
・ゆっくりと流れる世界
この映画、酷くゆっくりです。揶揄してる訳ではありませんがあえて退屈と言っておきます。それが素晴らしいんです、ズレた感覚をこの身で体感出来る訳ですから。皆、スローテンポで話しています。自分のリズムで話します、全然話さない人も居ます。赤い女は一方的にまくしたててきましたしハルの母親は最後で話す事を拒否しましたが笛を鳴らして通じ合いました。本当に皆独自の言語で独自のリズムで話しています。すごい映画だ。
姉、ピアノを早いペースで弾いてましたね。あの時のハルとトンボの顔をもう一回見たいくらい辛そうにしてました。あの演出すごいですよね、結局怒られていたのも姉も生き辛い人生を送っていた示唆なんでしょう。
すごいのは月食のシーン、の話の前に月食めちゃくちゃデカくなかったですか?あれ良いですね……はい戻します。街の人間は月食の時に皆静止して呆けていました、そして時計を持ったハルとそれを探すトンボの描写はすごい……すごかった……これだけダイナミックな演出で静かな表現出来るのかと思いました。すごい。同じ時間を刻んでるのは世界で二人だけ、ふたりぼっちで生きているのをさぁこうやって魅せるのは……はぁ……。ていうかハルが時計を欲しがったのは普通の時間を刻もうとしたからなんでしょうか、違うか。恐竜の骨が使われてたからか。
そう言えば道の通行速度も移動距離を時間で割って表されますね。時速何キロ、秒速何キロ。車に乗る事が正解でも間違いでも無い。だから歩いて行きたい。ゆっくりと流れる自分の世界、だから自分と同じ速度で歩いて行けばいいんじゃないんでしょうか。
おおわりに文、駄文、散文失礼しました。ざまぁみろ。これが私の道だ。ダメだ、ずっと真面目に話してると悪態をつきたくなる。この映画のキャッチフレーズで優しい気持ちになれると書いてありましたがそんな事は無かったですね。 こんな事が言いたいんじゃなかったんです、本当です。嘘です。分からなくなってきた。まぁとにかくこの映画は素晴らしかった。これは心の臓の底から本当です。素晴らしいと感じられない人も、心震えた人も道を歩いています。だったらどこかで出会うんでしょうか。
ではまた会いましょう。道の先で。