環境って大事だなという話/横文字について考える

今、英語学習のモチベーションが高まっている。それは英語ができる方々に囲まれているから。その方々に追いつきたいと強く思っているから。

英語教育系のお仕事に転職してから、やっぱり僕の英語力の未熟さを痛感させられている。周りの方々は英語ができるだけでなくお人柄もよくて、一緒に働いていてとても心地が良い。さまざまな経験をさせていただけて成長できる環境だと感じている。

でも、英語力コンプレックスが発動している。
周りの方々の英語力は素晴らしいもので、海外生活が長いメンバーばかりである。そんな中で僕は海外経験は旅行のみ。

今書いていて気がついたけれど、海外経験に嫉妬しているわけではなくて、自分の語学力の低さにコンプを感じているんだな。もちろんできるのであれば留学したいなと思っている。このまま留学しなかったら人生の後悔リストに入ってしまう、そんな気がする。

だから僕は以下のことに取り組んでいる。ここに宣言をすることで少しでも自分を律することができたら、なんて思っている。

英検1級のリーディング 1週間で6題
Distinction 1週間で600個
シャドーイング1日1時間
表現の暗記1日15分
オンラインレッスン 30mins/week

僕の目標は以下の通り。2025年には達成したい。
versant60点以上の取得
英検1級合格
ielts OA7.0

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ここからは話題を変えて、日常会話で英語を使う人、いわゆるルー大柴みたいな人についての持論を書いていきたい。

結論としてはその単語が共通言語ならいいのでは?ということ。
思うに、英語を使うことが問題なのではなくて、知らない単語を使われるのが嫌なのだと思う。

例えば、「フライパンとカーテンを買いに行く」という文章を考える。これをchatgptにカタカナを使わずに書いてもらったところ、以下のようになった。
「鍋と幕を買いに行く」

フライパンもカーテンも日本人の間で共通認識として存在している。そしたらよく話題に挙がる、「アジェンダ」「グロース」「ミーティング」も同じな気がする。
その話をしている人の中で共通言語(shared language)になっていることが重要なのであって、それが日本語だとか英語だとか言語の種類は関係ない、そう思う。
極論、お互いに日本語と英語ができるのであれば、「明日の17時にmeet upしてスタバでchillしよ。」みたいにごちゃ混ぜでも問題ないと思う。コミュニケーションは伝わることが大事だから。

結局は通じればいいじゃんという話。
だから相手によって使う語彙も変わってくるはず。
曇り空を見ながらそんなことをふと考えていた。

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