見出し画像

伝統と現代が混在する京都の魅力

金閣寺とか清水寺とか華やかなイメージに対して、道路の塗装が剥げていてぼろっちいな、というのが街中を歩いた時の印象だった。大通りでもコンクリートのつなぎ目が雑に施工されていたり、排水溝の一部が道路の真ん中にポツンとあったり。なんというかちぐはぐに組み合わさっていて、花の都と詠われた歴史性みたいな趣があんまり見えてこなかった。

大手外食チェーンなどは景観に気を使って店舗設計をしていると聞いていたけど、あれこんな感じなんだっけ京都って…。古びた風景に首をかしげながら三十三間堂の脇を抜け、僕は七条通りを歩いた。


京都へ出かけたのはたまたま金曜日が休みになったからだった。せっかくだし京都に住む大学時代の友達のところへ遊びに行って、ついでに好きな作家(森見登美彦)の舞台を探索してやろうと新幹線に飛び乗った。普段は家にこもっているくせに、こんな時だけ妙に行動的なのは森見作品に毒されてしまっている証拠だろう。

「森見さんの京都ものってすごく求心力があって、そこにしかない世界がある」
「ユートピアとして京都の香りがある」

恩田陸が対談インタビューの中でこんなことを言っていたけど、その不思議な力にいざなわれるように京都へ向かったのは、やっぱりその魅惑的な景観とか雰囲気とかを味わいたかったからだと思う。批評家:佐々木敦が「森見的京都」と評した世界。そこへ足を踏み入れてみたいと思うのはきっと自然な成り行きではないか。

ちなみに森見作品の世界について少しいうと、だいたい二つに分けられる。一つは『夜は短し歩けよ乙女』に出てくるような腐れ大学生が繰り広げる「妄想」大暴走系もの。割と初期の作品に多くて、「学生の街」として京都が描かれてる。一方で『きつねのはなし』とか『宵山万華鏡』とかは雰囲気がガラッと変わり、得体のしれない謎めいたものとか不気味さなどが前面に出ている。「妄想」ではなく「幻想」が物語が進むにつれて広がっていくような、そんな感じ。

それで、せっかく京都に行くなら王道の観光をするよりも森見作品の後者の世界、つまり京都という街が内包する「幻想」を感じてみたいなぁと思った。

友人とは夕方合流する予定だったので、それまで作品の舞台めぐりをすることにした。京阪本線で出町柳まで行き、iPhoneの地図アプリでルート検索しながら下鴨神社に向かう。下鴨神社は世界遺産にもなった京都屈指の大神社で、正式には『加茂御祖神社』というようだ。紀元前90年に神社の修造が行われた記録があるほど古い。また神社を囲む「糺の森」は古代原野の姿をとどめている学術的にも貴重な森だと言われている。確かに駅から北の方角を見ると鬱蒼とした緑がこんもりとしていた。「糺の森」は、「ただすのもり」という響きがいいよな…。知らんけど。

案内に従って下鴨本通りを北へ歩いていると、道路沿いに洒落たパン屋がいくつかあった。行くまで知らなかったのだけど、京都はパンの消費量が日本一なのだ。激戦区らしい。なるほど素敵なパン屋が多いわけだ。並べ方も上品で、フランスパンから惣菜パン、菓子パンまで可愛らしく置かれている。焼きあがったパンの香ばしい匂いがこれから神社に向かおうとしている自分に似合わなくてなんだか可笑しかった。

しばらく歩いただろうか。地図アプリが右に行くよう指示してきたのでそのとおり動物病院のところを曲がっていくと、だんだんと住宅街に入っていった。すると急に人気がなくなって陰気な空気に包まれた。古い石垣や水路に挟まれて細長い道が続ており、そこを歩いていると両側の家や塀が覆いかぶさってくるように見える。通りから一本入っただけなのに雰囲気が一変したので背中がゾクっとしてきた。

なんだかひんやりとした空気が体にまとわりついてくるような、ぬめったい感じがする。胸のあたりもムズムズしてきた。駅から近いと聞いていたのに、かれこれ15分くらい歩いても全然見えてこない。いつまでたっても神社に着かないんじゃないか、なんて気がしてくる。親とはぐれて迷子になった子供みたいに思えてきた。塀のそばを流れる水の音も、そんなに大きくないのに奇妙に聞こえる。


途中、水路を眺める中学生くらいの女の子とすれ違った。通り過ぎるときにその女の子が何かぶつぶつとつぶやいていたから耳を澄ませていると、「濁ってる、濁ってる」と言っているように聞こえた。気になって水路を覗いてみたけれど、透明な水が流れているだけだった。もしかしたら違うことを言っていたのかもしれない。

何度か後ろを振り返りながら、その女の子が何を見ていたのか考えてみたがよくわからなかった。まぁいいやと思いながら進んでいると、今度は左側の石垣にかかっていた看板に目に入ってきた。「反対!」という文字が大きく印刷されている。よく見てみると、下鴨神社の敷地内にマンションと倉庫を建てることにへの反対を訴えるものだった。

赤い看板に黄色ペンキで大きく書かれた反対という文字が、それまで鬱蒼としていた細い小道を一気に物々しい雰囲気にさせていた。道を進むにつれてその数は増えていき、旗なんかも5本くらい立てられていた。

世界遺産を守るための資金を確保しようとする神社と、世界遺産の景観を守ろうとする地域住民の対立。それが生々しくうごめいている。あまり外の人には見えてこない部分だけど、これも京都の姿なんだろう。

やっと境内の入り口を見つけたのは、もう30分40分歩いてからだった。参道に入るとフリーマーケットが開催されていて、たくさんの人で賑わっていた。先程までの陰気な小道とはまるで雰囲気が違った。

画像1

そうかここが古本市が開催される場所なのか。『夜は短し歩けよ乙女』では黒髪の乙女が"ラ・タ・タ・タム"を探し、『四畳半神話大系』では明石さんが店番をしていたところだ。緑がきれいに映えていて想像していたより気持ちのいいところだった。こんなところで古本市が開かれるのだったら最高すぎる。来る時期が少し早かったから実際の雰囲気は味わえなかったけど、ようやく作品の舞台にたどり着いた嬉しさを実感できた。

画像2


ちなみに下鴨神社までめちゃくちゃ歩いたのは、アプリに表示された経路が境内の外周を歩かせるコースだったからで、ちゃんと地図を見れば駅から参道がほぼ直線につながっていた。すぐに着くはずが、めちゃくちゃ遠回りしていただけだった。なんだったんだあの時間…。

そもそもなぜ地図アプリはそんな道を表示してきたのか。参道を示す方が絶対良いはずなのに。

まぁ回り道をしたお陰で、京都のパン文化に触れたり神社と地域の確執が垣間見れたり、何より迷子になった子供のようなドキドキを味わったとも言えるから、それでよかった気もするけれど。

迷子になりながら歩いていた時、ふと京都の魅力は歴史性と生活が混在しているところにあるのかもしれないと思った。パンと神社とお金。変な組み合わせだけど、そのヘンテコな空気はそれはそれで面白い。京都の景観について論じられたある文献にはこのように書かれていた。

壮大な寺社仏閣や古い町家、春夏秋冬でかわる樹木の色鮮やかさや伝統行事などの『伝統的景観』と、京都駅ビルや四条河原町付近のオフィス街デパート街などの『現代的な景観』

少し歩いただけだけど、確かになと思う。そしてそれ以外にも様々なものが放り込まれて混ぜ合わさっていて、なんというかガンジス川のような側面もあるような気がした。

けれどそれらは各々の場所ごとにきちんとまとまっていて整理されている感じだった。スターバックスの二寧坂ヤサカ茶屋店も、京都に合わせているというよりはその八坂神社付近の街並みに同調していた。

画像3

意外と金閣寺・清水寺とかみたいな観光スポットではなくて、住宅街付近の方がその土地のことに気がつくし面白いかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!