
:0001 上手い詩を賞賛できずに吐いてしまった 王道になれない自分はどこへいこうか
どうも、うたももです。
連日Twitterでつぶやいてきた詩をnoteにまとめてきましたが、今回はわたしの信念の話もしようと思います。
いい詩を書くにはいい詩を読むこと
これはどんな表現者にも共通する。画家は美術館におとずれる。デザイナーは商業施設におとずれる。映画監督は映画館におとずれる。
わたしは詩集が特別好きではない。岡本太郎の名言は好きだ。本人は詩だとは思っていなかっただろう。「芸術は爆発だ!」口頭であたりめえだろと発した言葉が、いまでも書籍になり本になり歌になった。
岡本太郎は画家であり彫刻家でありデザイナーであり芸能人。そして、詩人だった。
わたしにとっていい詩とは、岡本太郎の言葉すべてだ。
上手いけれど、わたしはこんな詩は書きたくないと吐く
失礼だから、どなたのどんな詩を読んだときに吐きたくなったかは書かない。たまに、この詩をわたしが受け入れることができたら、大衆受けする詩を書けるんだろうかと悩む。
全員に好かれたいとは思わない。だが、詩を書いてもお金にならない。大衆受けすればお金を得られるのだろうか。
受け入れたら、受け入れなくていいか。だって、岡本太郎が好きなんだから。心の中に毒を持っていていい。
最低でも、10年は詩を発表しつづけようと思う
「それってお金になるの?」
ならないでしょう。これは本を執筆する作家もだが、他にできることが何もないから詩を書くのだ。生きているだけで感謝してくれないか?褒めてくれないか?ずっとずっと詩を書いていたい。10年は詩を書く、生きる猶予をください。