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:0083 不死身のつもりの流れ星/最果タヒ 感想

最果タヒさんの詩集を初めて読んだ。わたしは岡本太郎の発する言葉の影響もあって詩を書きはじめた人間なので、こんな主流な詩人の詩集も読んだことはない。やっと読むことができます。


「ぼく」と「きみ」

最果タヒさんの書く詩の一人称は「ぼく」であとがきでは「私」。「ぼく」と言うと、見栄を張らずに生きている感じがする。孤独を表現するときだけは「ぼく」もいいかもしれない。

うたももとしては、
 基本の一人称=わたし
 プライドの高い人=私
 年配で自信がある女=うち
 若くて自信がある女性=ウチ
 衝動的な男性=オレ

 基本の二人称=あなた
 小さな声で呼ぶとき=きみ
 見下した表現のとき=オマエ・オメー・アンタ
で書いている。

 現実の最果タヒさんには「きみ」はいないという。「きみ」に聞いてほしいけれど、「きみ」になってもらえる人がいないという。愛せる他人がいなかったという。

学生の頃から、私はいつもみんなが何を言っているのかわからなかった。わからないし、私もみんなからすればわからないんだろうなと何度も思った。

P.91 9-10行目より引用

「みんなからすればわからないなら、わかるひとに向けて書こう」としているわたしはとても共感できた。わたしにも愛せる他人はいない。小さな声で呼ぶときは「きみ」を使うが、頻出はしない。わたしは恋愛的な意味も含ませたいときに使うが、そもそも恋愛経験が薄っぺらい。

最果タヒさんの場合、「きみ」が現実にいなくても詩の世界では「きみ」が頻出する。「きみ」と呼べるひとが自分にいなくても、読んだ人がそれぞれ当てはめて読んでくれるのがおもしろいからだという。

わたしはこのわたしの現実に寂しさは一切感じていないから、「きみ」と書こうとしない。「ぼく」とは、「さびしさ」らしい。

装丁デザインについて

装丁は佐々木俊さん。この装丁デザインのおかげでもあって先鋭詩人らしさが店頭で伝わっていると思う。表紙の流れ星のような左下へとしなった円柱は、ゆっくりとグラデーションがかかっている。ピンク〜ライトグリーン・黄色〜オレンジなどさまざまなパターンがある。「不」「つ」「も」「り」「の」「流」「星」の上は飛び越えている。円柱がタイトルの前後をとおりすぎる。どんなお話なのかとても想像したくなる。

中の本のタイトルページでも、円柱の流れ星がタイトルの前を通り過ぎている。中のタイトルページでも弾けた表現をしていいのか。目次は横書きで「ページ数 詩のタイトル」が中央揃えで並ぶ。前の世代の詩集ではあまり見ない。

横書きの詩・見開きの片面だけ印刷した詩もあり、装丁にももっともっと挑戦しようと決意する詩集になりました。


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