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吐き出し

 抑鬱である。
 気分が下を向く。心が俯く。ぼとりと覆い被さる虚無感。無意味な溜め息。
 それらに気づき、くだらなさに辟易とする。
 人生がくだらないのは、現実が辛いのは、今までの自分自身が積み重ねてきたものなのだと、他でもない自分が知っている。
 思えばいつから自分はこうなのだろうか。母が壊れ、それと暮らした日々だろうか。幼少期の家庭環境の影響により自分はこうなのか。それとも思春期に摂取したアニメや小説の影響だろうか。
 環境によって人間は形作られる。勿論そうだろう。しかし自分が持つこれを、環境によって形成されたというのはあまりにも他責思考だ。
 これは生来持って産まれたもので、自分自身を見る上で必ず目に付く汚点。
 それは生まれに対する、能力であり才能であり幸福のコンプレックスだ。
 どれだけ日々を適当に生き、思考を閉ざしても、ふと脳裏を去来する。
 自分とは比べられない友人。似ているのに全く違う家族。見下しているのに自分より価値のある他人。嫌になる。
 仕事に意味を感じない。自分に価値を感じない。恥だけが自分に降り積もる。
 恥の多い人生を送ってきましたと言える程、人生に語るべき背景を持たず。死に至る程の文脈もなく。ただ命を消費する無価値。
 誰かがこの国、この時代に生まれただけで幸せだと言う。産まれてこなければ苦しむ事もないのにと言う。確かにそうなのだろう。その通りだと思う。間違っていないだろうが、それらの言葉は響かない。沈んだ気分の毒にも薬にもならない。

 そう。抑鬱を、沈んだ気分を誤魔化す魔法の言葉がある。
 ま、いいか。
 これだ。自分は大学時代、入学当初、無茶苦茶厨二病だった。高校時代に人格を取得した自分は、その頃もっとも調子に乗っていた。自分はかなり不幸で、可哀想な人間で、だからこそ人生を楽しむ権利があると思い込んでいた。
 そんな思い込みは恥ずかしい勘違いであると、そこで出会った二つしか違わない先輩に教えられた。
 そこで正しく、人間にされてしまったのだ。
 大学生になってやっと人間のような失敗や成功を経験する。以前までの自分は少し知能のある動物でしかなかった。
 コンプレックスを獲得し、ようやく今と地続きの自分になった。

 と、モヤモヤとした鬱をダラダラ文章化したらなんかどうでも良くなってきた。
 結局は何が言いたいんだよ。鬱だから慰めて〜、か? きも。
 外が明るくなってきとるやん。仕事に戻ります。

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