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アークナイツ四周年イベントに行った!!!

 といった感じで先日一月の十四日、アークナイツ四周年イベントに東京ビッグサイトへ行ってきました。
 ビッグサイトですわよビッグサイト。ビックサイトじゃございませんことよ。
 それじゃあイベントの思い出を吐き出していくんですけども、ここでアークナイツの細かい設定やらの説明をしだすと面倒ですのでワタクシの言いやすい言葉でテキトーに書いていきます。無いと思いますがアークナイツに自信ニキはこれを見て「言い過ぎじゃない?」「解釈違いだ!」「おバカ」とか言わないでください。傷つきます。

人ゴミ

 とまあこんな感じで開演間近。むちゃくちゃ人が多い。個人的な観測範囲ではアークナイツをプレイしてる人間なんていないのにいったいどこに潜んでいたのか。ワラワラと罠とも知らずにビッグサイトに集められる。
 周りから聞こえる東京イントネーションが孤独感を強めるが同時にワクワクしました。可愛いコスプレのねーちゃんもいたりしてウキウキ。知ってるキャラなのでなんとなくそれも嬉しい。皆んなで同じものを見にきた一体感を一人で得ていました。幻想なのにね。

最初の方なので少なめ。イベント終盤は所狭しと紙が敷き詰められる。

 中に入って先ずは証を残す。戦友募集の張り紙を書く。特に絵心も面白い一言も出なかったので悔しさを噛み締めました。俺にもっとチカラがあれば。

テキサス(キャラ名)のパネル

 とりあえず目についたパネルを写真に撮る。正直パネルを見ても、ゲームの立ち絵だ! 以上の感想がない。でもこのキャラ好き。性能も良い。人権だ。

イベント中のチャレンジみたいなの
ギリギリでクリア

 やっていない人間に説明すると、まあ縛りプレイをしてクリアするとポストカードをくれる遊びをしていた。
 別にそこそこ課金しているプレイヤーには難しくないちょっと難易度高めのミッションだが、俺はギリギリだった。普通に一回ミスした。余裕ぶっこいていたら凡ミスをしてしまった。俺のパーソナリティを知っている人間からはまあよくあることだと分かってもらえると思う。そんなに難しくないんすよコレ。

一人端で佇むカーネル

 なんかケンタッキーとコラボするらしい。
 以前中国ケンタでコラボしていたのは知っていたが、日本ケンタとは別だし無理だろうなーと思っていたところにこれである。中国でコラボしてたの最初の年だから四年前ですよ。ぶっちゃけ忘れてた。

これもパネル

 今まであったイベントストーリーのパネルコーナーがあり、その中でお気に入りのものを撮影。
 シラクザーノというタイトルのイベントストーリーだ。イタリアのイタリアーノ的な感じだ。シラクーザというゲーム内の国の伝統的なマフィアをシラクザーノと言い、法と暴力と伝統と未来の話が繰り広げられる。映画ゴッドファーザーを見ているとストーリーの解像度が上がると言えばなんとなく内容を想像してもらえると思う。その倍は面白いぞ。

ロドス

 これは主人公達が乗ってる船。まあマクロスみたいなもん。むちゃくちゃでかい船。船まるごと会社なのだ。
 このゲームの世界では基本的にこの船で大地を巡ることになる。巡るというかなんというかだが。
 しかしまあこれが結構良くできていた。販売するなら普通に欲しい。なんならラジコンで走らせたい。

神経衰弱

 会場での遊びで絵合わせをする。このスコアは多分平均くらい。一万いくとすごいらしい。

大吉

 おみくじを引いた。サイコロをふってカードを引いて運勢を占う遊びだ。くだらねえと思いつつ良い結果が出たら嬉しい。占いはナンセンスだと思っているが同時に気休めでも気分が上がるなら良いじゃんとも思っている。アンビバレンス。こころがふたつある〜。

ケルシー先生とツーショ

 これ推しとの撮影。
 緊張して陰の者全開になってしまった。撮影前までは色々ポーズを考えていたのだが、いざとなるとヒヨる。先生と生徒感があると思うので自分的には芸術点をあげたい。多分実際にツーショを撮っても絶対こうなるので。いや実際に撮ってるわけなのだが。横にいたしね。確かにこの時存在したから。

 昔のシラクーザに名を残した偉大なマフィアによれば、暴力やそれによって縛る法で「存在」を主張し、かつ人々がそれを信じるほどにおめでたい存在であると気づいた者こそが"ファミリー"の真の創設者であるという。
 マフィアというシステムが登場してからは、それを信じる「ファミリー」は「法の独裁者」とも呼ばれるようになったが、本質的には人類が狩猟採集生活から定住生活へと移行した時期から「法」という概念が誕生しており、それを暴力を独占したマフィアという集団が法の効力を保証したと見るべきだろう。

 だが必ずしも人間だけが「法」を持つわけではない。野生の裂獣が自らの屎尿や便によって縄張りを主張し、そのテリトリーを犯した別の裂獣は裂獣の法によって裁かれる。同じものであると言っても過言ではない。
 そのテリトリーが「存在」を主張し、その陰に「法」を敷く。ルールがあるということはそれを考えた誰かいるということであり、逆も然りなのだ。

 さて、本題に入るがケルシー先生は存在した。撮影の瞬間、無礼を働いてはならない。礼節を欠いてはならないルールがあったからだ。
 品性、礼節、常識等すべてが破綻しているワタクシのような者に対しても、直接的かつ最もわかりやすい「法」が存在した。
 とまあそんなこんなで楽しいイベントでした。
 地元まで帰ってきたのでこの辺りで締めます。歩きスマホはしないルールなので。

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