読書感想文「ファスト教養」を読んで

レジーさんという存在について

春先に自分自身の本「コンサルティング会社完全サバイバルマニュアル」を出してからありがたいことに本当に多くの反響をいただいた。
noteでもTwitter(X)でもamazon上でも、本当にたくさんの属性の方から、概ね肯定的な感想をいただき、目の届く限りではあるがすべて読ませていただいている。この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。

8月の中頃、フォロワーのどなたかのPostでレジーさんという方が拙作について書評を書いてくれている、ということを知りLINKをたどった(大変に失礼なことにこのPostを見るまでレジーさんの存在を知らなかった。フォロワー愛してる)。
ページを開き、1行目で、これはプロの筆圧だ、というのがわかるもので、畳の上で寝転がっていた姿勢を改め、スマホではなくしっかりとPCに繋いだスクリーンから全文を精読することとした。
それほどにまで、冒頭から”これはマジで俺の本について切り込んでくるな”というプロの文章ならではの迫力を感じ取ったのだ。未読の方がいたら、是非とも一読をいただきたい。

私より、1ヶ月程前に出版された元BCGで、考えるエンジンで有名な高松さんの本と拙作とを並べつつ、コンサル本はなぜ売れるのか?から現代社会を分析しているのであるが、私の本に散りばめられた「美しく燃えるジョブ」、「No Surprises」というキーワードを丁寧に拾い上げ、「ただの外資系コンサル仕事ハウツー本にしたくなかった」という筆者の私の隠れた祈りを細やかに明文化してくれている。

泣いた。俺は泣いた。


この記事を読み終わるころ、私は完全にレジーさんの書く文章のファンになってしまっていた。その理由を自分の中で咀嚼する中で、記事に公表されているレジーさんのプロフィールを見て少し納得するところがあった。

ライター・ブロガー。1981年生まれ。一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる仕事に従事する傍ら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信。著書に『増補版 夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)、『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)。Twitter : @regista13。

「成長」の社会史 第2回「コンサル本」は成長へのマニュアルか ?

ビジネスマンとしてのアイデンティティがありつつ、副業でライター業を営み、かつ音楽やカルチャーへの造形が深い点が伺える。この点が、コンサルタントをしつつ副業で情報商材を売り、かつてバンドマンであった自分自身と、どこか魂の作られ方に重なる部分があるのではないかと感じたのだ。

個人的な激重感情を完全に一方的に投げつけるようでレジーさんには申し訳ないのであるが、かつて所属していた大学のバンドサークルの先輩や同期達に似たものを感じ、懐かしい気持ちになった。
音楽であっても映画であってもビジネス書であっても、一定の人間のパワーをかけて作られた創作物についてのリスペクトがあり、作り手がその時なにを感じていたのか、そしてそれは時代としてどのような意味があったのか?という点を、シーンの歴史的な文脈に沿って分析し、そしてそれを文章で(しかも面白く)説明してくれる。かつて私が所属していた大学の音楽サークルにはそういった良い創作物のリスナーが多く存在した。

AIが書いているのか1文字1円のクラウドリソースが書いているのかわからない謎のWeb記事が氾濫するこの世界の中で、最高品質の文章を連発していただけているのは希望である。この場を借りてリスペクトを・・・。

少し話が逸れるのであるが、大学の先輩にCrystal-Zというラッパーがおり、彼はまさしくそういう人間の一人だった。在学中、Number Girlはなにから聴けば良いのか?という後輩の質問に、当たり前に映画「けものがれ、俺らの猿と」を見た上、1stアルバムから聴くべきで、2ndを聴くまでには実際に1stと2ndアルバムが出るまでにかかった期間を経てから出ないと聴いてはいけない、という謎の縛りをかけるような人であった(それほどにままで、作り手と聴き手の関係性の文脈を重視し、創作物を消費する、という行為について、懐疑的な姿勢を彼は当時から持っていたように思う)。

学生であった私は彼をはじめとする、カルチャーや創作物に対して時間とエネルギーを費やすことを躊躇しない人間を心から尊敬していたし、そうではない自分自身の中途半端さを心から軽蔑していた。

その後、就職活動という人生のイベントを結果的に最小の労力で突破した成功経験と、Crystal-Z先輩やレジー先輩(存在しない記憶)へのコンプレックスとが混ざりあった複雑な感情をもった状態で、私はコンサルタントとしてのキャリアを歩み始めた。2009年9月のことである。

Crystal-Z先輩の新曲はみんなチェックしてくれ。


コンサルこそが陥るファスト教養の罠

未読の方は是非読んでから、以降を読んでいただきたいというのが切実な願いである。というのも、要約したものを読んでわかった気になる、というのはまさしく”ファスト教養”的姿勢であり、本書で批判されるアティチュードであるからだ。


読みました?では進みましょう。

冒頭および拙作の中で記述した通り、私は学生時代、音楽とバンドを断念した人間だ。私の周りには幸か不幸か、Crystal-Z先輩をはじめとする真にカルチャーを愛し、カルチャーを自分で産むために行動できてしまう人間が複数人存在しており、当時の自分にはその熱量がなかったためであった。それが自分で許せなかった。

一方で私は就職活動が”得意”であった。なぜか大人からの第一印象が良いようで、面接時間の40分程度であれば、私の致命的な人格の軽薄さが面接官に露呈することもなかったため、面接は無敗であった。その圧倒的勝率は、音楽に挫折した青年メン獄の自尊心を大いに満たすものであり、自分の将来の進むべき道はビジネスであり、有能なビジネスパーソンとして、コンサルタントとして羽ばたくイメージをぼんやりと頭の中に投影しはじめていたのであった(非常に残念であるが、結果としてコンサルタントとしても大成はしなかったのであるが・・・。人生は厳しい)。

一度自分がビジネス側に歩みを進めると、それまで好きだったカルチャーや音楽に対して、依然として熱を持っている同級生や後輩たちがなんともまぁ幼く見えるようになった、というのが正直なところである。
これは自分のした人生の決断を正当化するための心の作用であるわけだが、私と同様の振る舞いをした(あるいは現在進行形でしている)新社会人は少なくないと思われる。

自分は勝ち組に属していると信じたい無意識が、自分は資本主義の中で定職をゲットし、それなりの給料をもらって、将来に向けて確実に歩みを進めている、という自負に変わり、その裏返しとしてそうでない人間への否定へとつながる。そこまでは地続きである。

ファスト教養の中ではこのよくある若者の心の変化について映画「花束みたいな恋をした」を引用しながら、説明している。美大を卒業し、カルチャーと彼女を愛しながらも、就職を機にカルチャーから離れ、仕事での成功に取り憑かれていく主人公。麦よ。お前はかつての俺だ。

音楽というアイデンティティを失った青年の心に、「有能なビジネスパーソンであれ」「資本主義を生き残れ」、というわかりやすいスローガンはスッと心に入り込み、知らぬ間に、数年、いや10年程度、私自身の心に取りつき離れなかった。そして依然として心のどこかに身を潜めているように思う。

特に、プロジェクトという一定期間のなかで、高額な報酬に見合った成果を出し続けることを職業的な宿命として背負うコンサルタントという仕事とファスト教養は非常に相性が良い。

「2週間経ってもまだ”入ったばかりなので”、と言い訳をしている奴はプロ失格」と言われるコンサルティング業界においては、いかに効率的に、最速で、”それっぽい”答え”らしき”ものに辿り着くか、は非常に重要なサバイバルスキルとなる。

クライアントに関わる膨大な資料を読み込みながらも、コンサルタントとしての”一般教養”である、英語、IT、会計、ビッグデータ、NFT、生成AIこれらについて、”とりあえず喋れる”くらいには知っておく、というのはコンサルタントという仕事が抱える宿命だ。

クライアントからの高い要求と上司からの圧、そしてプライベートは充実をしてる風に見せておきたい、多忙なライフサイクルの中で一般教養を身に付けたいとなれば、「これだけ見ればOK」「10分でわかる」とタグのついたYoutubeを開き頼りたくなるのは必然であろう。

しかし、たかがYoutubeを見たくらいで身に付く知識というのは、残念ながら真のプロの世界では通用しない。
なんとなく知っていることと、仕事として武器になる程知っているの間には、大きな隔たりがあるからである。

プロであるということは、職業技能に一定の専門性を持ち、社会からの専門性についてリスペクトを勝ち取ることである。
さて、特に資格を要さずに自称できるコンサルタントという職業においてプロを名乗るためには、クライアントから自分の名前で指名されることがプロのコンサルタントとして食っていけるかどうかの重要な指標として働く。
「・・・会社ではなく、あなたから買いたい」「あなただから買いたい」、そのようにクライアントにどのような方法で思ってもらうかを考えると、一般論としての正解だけでは戦えない。

クライアントの将来に思いを馳せ、自分としてのオリジナルな解を作りこむために、決して”ファスト”ではないやり方で答えを磨き込むフェーズが必要になる。オリジナル解の編み出し方に、既存のやり方は存在しない。自分で作るからオリジナルなのである。拙作の中で、コンサルスキルはさほど持っていないが、携帯電話、というものについて異様に詳しい上司の話を書いた。おそらく、通信事業領域でそれなりに飯を食っていく、というレベルの知識であるならば、そこまで知る必要ないのであるが、彼はあらゆる無線局の種類、その中に使われている半導体の種類、各国の電波法とその特徴、日本の工事会社の力関係、通信キャリア同士の確執、ほぼすべてを理解していた。真似しようと思ってたどり着けるものでもない。オリジナリティとはそういうものである。プロとはそういう生き物である。だから価値があるのである。無駄かもしれない可能性の検証と調査、その繰り返しが、プロとしての実績となり、経験となり自負へとつながる。

一方、大量採用の時代においては、「最速で、効率的に、勝ち組になれそうだから」という理由でコンサルタントになっている人間が少なからずいる。ファストキャリア、ともいうべきだろうか。
ファストキャリアのアティチュードは、前述した”磨き込み”、というプロの工程に求められるアティチュードと非常に相性が悪い。
さらにもう一歩踏み込んだ勉強・検証をせず、ファスト教養的アティチュードのみで身につけた付け焼き刃のインプットだけを頼りに仕事を最速で効率的に、割り当てられた自分のタスクのみを”終わらせ”ようとする。
これは付加価値を商品とするプロの仕事というよりも、時間の切り売りでしかなく、働き方としては時給制のアルバイトに近い。

コンサルティング業界全体として、そのようなファスト思考の人間の絶対数が増え、付け焼き刃の知識とクライアントの業界・歴史への不十分なリスペクトを基盤に作られたアウトプットが溢れることになれば、業界そのものの栄華の終焉は遠くない未来に訪れるのかもしれない。

結論、感謝の正拳突きなんじゃないか

ギリギリでフライできず地獄送りさ
君が飛べなかった理由を一つ教えたろうか
それは目の前のプロップスに心揺らぎ近道した結果
誰かの後をつけてるだけだったからさ

LONGINESS REMIX;OHZKEY・Vanity.K・CHICO CARLITO・Awich

ではコンサルタント(というかビジネスパーソン全般)はどうやってファスト教養という不毛な戦いの螺旋から抜け出し、プロとしてのスキルを身につけるのか、という答えであるが、ファスト教養の中では「トレンドに追われることなく、好きを追及し、無駄をしよう」という重要な救いのメッセージが示されている。

先日、Twitter(X)上で、残業200時間やってる人の方が定時で帰る人よりも仕事できるようになるの当たり前だよ、という趣旨のことをポストしたところボヤが起こったのであるが、私のポストへの批判に対して象徴的なものがあった。曰く、「効率絶対悪いだろこのバカ(メン獄)」である。

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まさしく。私は効率の話を一切していない。

むしろ効率、コスパを生きることの唯一の指針とするのであれば、プロとして必要な職能的技能を身につけ、技能で社会からのリスペクトを得る所には到達しない、というのが私の主張である。
効率の亡霊に取り憑かれてしまっているのかもしれない魂にこの声が届けばと祈るばかりである。

ファスト教養に書かれている通り、ある特定領域の「知識」を得るためには、あえてハズレを引きながら、1ページ読むにも異様な時間がかかる難解なものも織り交ぜながら、効率を無視して、時間を投下することでしか得られない境地が存在する。

拙作の後書きの中で私は、読者に対して、自分が没頭できることを探し、それに熱中することで、唯一無二のキャリアが作られる、ということをハンターハンターの感謝の正拳突きを例に説明したのであるが、ファスト教養という本があったのであれば、その引用を載せれば、この後書き要らなかったのではないか。この本との出会いが1年早ければ・・・と思わずにはいられなかった。

タイムチャージ(自分が働いた時間がプロジェクトのコストとして計上される)という絶対的な縛りが存在するコンサルタントにとって、あえて時間をかけて一見無駄かもしれないオルタナティブの可能性のことを考える、意味がないかもしれない情報を集める、という心理的ハードルは非常に高い。
常に最短で答えらしきものに飛びつきたくなる誘惑と戦いながら生きていることは私も経験から知っている。

かつて上司のヌタさん(詳細は拙作を参照)から、「お前はすぐに俺から答えを引き出そうとするよな」と怒られたことがあるのであるが、仕事の速さと正確性を身につけた上での次のステージとして到達すべきは、溢れている正解らしき、複数の選択肢の中で、自分なりの正解をストイックに磨き上げる勇気と行動であり、これは言うなれば王道から「あえてズレること」、ファスト教養でいうところのノイズに時間をかけて耳を傾けること、と似た
アティチュードである。結果ではなく過程。プロセスに重きを置くことで真実に辿り着く。アバッキオの同僚が言っていたことである。

本来正解のないものにまで正解を与えようとする気持ち悪さ

世にいうインフルエンサー業をやっているとよく、コンサルティング会社に入るべきでしょうか?離婚すべきでしょうか?旅行はどこに行くべきでしょうか?というように多種多様な質問をいただく。

それ自体、意見を聞く相手として私を選んでくれたことに嬉しさはあるのであるが、たとえば会社に入るか入らないか、ということについては正解がない。

私の場合は行って良かったが、人によってそうでない場合もある。残業すべきかどうか、正解はない。私にとっては貴重な経験だったがそうでないこともある。心身を壊すかもしれない。読むべき本、見るべき映画、まるですべてに正解があるかのように、コンプリートした100%の人生が存在するかのように考えている人が世の中には溢れてしまっているのではないか。

そしてそういった本来存在しない生き方の正解らしきものを提示しているのはファスト教養の中で言及されている一部のビジネス系インフルエンサーと呼ばれる人間であるように感じる。

私は映画ファイト・クラブが大好きなのであるが、DVDを再生すると主要キャラクターであるタイラーから以下のような警告のメッセージが出ることが有名だ。以下は抜粋である。

あなたは権威を表す者を誰しも尊敬、信用してしまうのですか?あなたは読むべき書を全て読むのですか?あなたは考えるべきことを全て考えるのですか?欲しいはずだと言われる物を全て買うのですか?部屋を出ろ!異性に会え!過剰消費もマスターベイションも止めろ!仕事を辞めろ!けんかを始めろ!自分が生きていることを証明しろ!自身の人間性を主張しないと腐敗していく有機物でしかない。注意はしたぞ! タイラー 

ファイト・クラブ

インターネットの膨大な情報の中で、もしこの記事を読んでくれたのであれば、次読む本は、本屋に行き、たとえば中身ではなく見た目で、背表紙に書いてあるタイトルで、ジャケ買いをしてみてほしい。
サブスクのリコメンドではなく、レコード屋にいってみてほしい。TSUTAYAでDVDを選んでみてほしい。

選択肢の中から、これではないか、と悩み手にとり、ハズレを引く楽しみがこの世界から失われて久しく思う。
うわ、クソだったなこの映画、という体験からしか得られない経験があり、嫌いだけど、新しいことしてるなこのバンド、という発見からはじまる音楽体験がある。

テメェなりの君たちはどう生きるかを、やっていきましょう。

俺の本。まだ読んでなかったら読んでみてね。


以下は、会員様特典おまけ文章とさせていただく。

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