他者視線恐怖症だった頃の話
大学生の頃、私は他者視線恐怖症だった。
しっかりと医者から診断されたわけではない。
ネットで自分で調べて、「ああ、自分はこういった病気なんだな」と理解した。
ちなみに他者視線恐怖症は、対人恐怖症の一種とされるが、正式な診断名というわけではない。
他者視線恐怖とは何か
読んで字の如く、他人の視線に恐怖を覚えるものだ。
当時の私は、特に自己肯定感が低かったように思える。
自分は何をしてもダメ、上手くいかない、人生を諦めてしまいたい、常にそんな事を考えていた。
ここでポイントなのがそれは「思い込み」であり、誰かにそのように言われたわけではないということだ。
当時を振り返ってみても、特筆するほどの失敗や挫折を経験したわけではなかった。
(決して真面目な大学生とは言えなかったが)
とにかく、誰かに見られるのが怖い。
誰かに見られると、この人は自分を馬鹿にしているんじゃないかと常に疑心暗鬼になっていた。
実際に見られているわけではなくても、見られている、馬鹿にされているといった感覚を持っていた。
特に酷かった時は、両親にすら見られるのが嫌だった。
自分から目を見て話すこともできなかった。
誰かに見られている、馬鹿にされている気になって、どんどん人目を避けるようになるので、昼間外に出ることは少なくなり必然的に昼夜逆転した生活となる。
昼夜逆転の生活は、人間の体にとってはとても良くないものだ。
夜になると自分の現状について嫌でも考えるようになり、自分を卑下し、どんどん症状は悪化していった。
誰にも見られたくない、その感情に支配されていた。
見られるということが、当時の私には何よりも嫌なことだった。
視線に殺される、そう思っていた。
コンプレックスが原因
なぜ自分はそうなってしまったのか。
人は何かしらのコンプレックスを抱えて生きているだろう。
一見完璧に見える人でも、何かしらのコンプレックスはあるものだ。
年齢を重ねた今となっては、当時のコンプレックスというのは別に気にならないレベルにまでなった。
若い頃のコンプレックスなんて、だいたいは外見の問題だ。
私は自分の鼻の形が嫌いだった。
一重の目も嫌いだった。
それを見られる事を、異常に怖がった結果、そのコンプレックス単体ではなく「私自身」を見られる事に恐怖を覚えていったのだろう。
その局所的なコンプレックスが、いつの間にか私個人を嫌いになり、そしてその自分を見られる事を怖がっていったのだろう。
この他者視線恐怖症に、私は1年ほど悩まされていた。
申し訳ないのだが、私はこの病気を克服した明確なきっかけを覚えていない。
いつの間にか、平気になっていた。
嫌でも外に出ないといけないような状況になったからだろうか、ちょうど大学のゼミが始まり、毎週必ずゼミ講義の時間があったからだろう。
※卒業するためにはゼミに入り、卒業論文が必須
また、ゼミのメンバーに恵まれたというのも大きく関係していただろう。
周りと比べて、精神的に大人なメンバーばかりだった。
同じような事に悩んでいる人は大勢いるだろう。
ただ私は、今思えば大したことない事であんなに悩んでいたんだなと思える。
実際「自分、見られるのが嫌いなんです」なんて言ったことはない。
心のどこかで、こんな恥ずかしい悩み言えるわけないと思っていたのだろう。
もちろん、悩んでいる本人には重大な問題で有ると理解している。
私がそうだったからだ。
今だからこそ言えるのは、
自分が思っているほど他人は自分に興味はない
ということだ。
自分が思っていたような見方をしている人は、ほとんどいないだろう。
(中にはいるかもしれないけど、ごく僅かだ)
誰からも好かれる人なんていないし、生きていれば誰かしらの反感を買っているものだ。
それが、社会で生きることだと思っている。
自分がそうだったからこそ、今同じ悩みを抱えている人は、周りにそれを打ち明けられないような状況なんじゃないかと思う。
そんな中でとても無理をして生きているんじゃないかと思う。
「自分なんて別に見られるような人間じゃない」
どうか、そう思ってほしい。
ネガティブな意味ではなく、心を軽くするという意味で。
そう考え続けることで、見られることの恐怖を克服してほしい。
実際私はとても無駄な時間を過ごしたなと思うから。
人生の時間を無駄にしないよう、考え方一つで何かが変わるということは知ってほしい。
30を越えた今、目も鼻もどうでもいい