頑固について
カノチャンである。
みなさまお気付きであろう今更のことだが、わたしは頑固である。
あらゆる方向からの視点をもって考えに考えを重ね導き出した答えが、他人のひとことふたことにそう覆されることはない。
「あなたはそう思うかもしれないけど、わたしほどに考えた上で、知った上でいまものをいってる?」と思うだけで、大概のことはわたしの核の部分から弾かれていく。
でもそれでも、ふとした時、スっとはいってくる言葉は必ず存在する。
「その視点はなかった」と思わされる瞬間が。
先日、昔からお世話になっている地元のカウンセラーの先生とオンライン通話をした。
正直なところ、思っていることを話すこと、吐き出すことでこころの負担が軽くなる程度のことしか期待はなかった。
じぶんのことはじぶんが一番わかっている。
メンタルの病気を抱えている割に、じぶんの状態に関しての客観性があるということは、どこにいっても驚かれてきたことだった。
そういう過信が確実にあった。
もちろんそれも、先生にとっては長年の付き合いであるからお見通しではあっただろう。
わたしのいまの「死にたさ」や、自傷行為等に関しては、じぶんとしては双極性障害由来のものであるだろう、と落とし込んでいた。
ただひとつ、いままでと違ったことがあった。
それは、何を思い出したわけでもなくそういった行為に及んでしまったり、過呼吸等の症状が出てしまったこと。
じぶんとしては、正直分析不能で、意味がわからなかった。
いままでなら、なにかきっかけとなる出来事を鮮明に思い出し、そこから逃げ出そうとする感覚があった。
でも、それとも違った。だから、わからなかった。
掴みどころがなく、考えようもなかった。
カウンセラーの先生がいった。
「それは躁鬱云々ではなくて、PTSDに近いものなのでは?と思うんだけど。」
ハッとした。
じぶんは既に病気を抱えている。
もちろんそれがなければ、いくらか軽く捉え、受け流せたことかもしれない。
でもそうか、病気にさらにそういったストレス障害のようなものが重なってもおかしくないのだ、と。
カウンセラーは、医師ではない。
だから、正式な診断などではない。
ただ、わたしはそういわれたことでひとつ、確実に、意味のわからなかった掴みどころのない不調に理由をつけることができた。
わたしは頑固だ。
でも、頑固だからといって、他人の意見を一切受け入れないニンゲンではないと思っている。
世の中には、わたしの知らないことがたくさんある。そして、わたしの知らないことを知っているひとたちがいることも知っている。
じぶんでは見えないものが見えるひとだって存在する。
そういうひとたちの話を聞きながら、またじぶんのなかに落とし込んで、そうやってじぶんを形成してゆく。
鵜呑みにするのではなく、じぶんの思考を返して。
わたしの頑固は、そんな風につよく、しなやかな頑固だと信じている。
頑固についてです。
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