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夢について

カノチャンである。

睡眠時にみる夢と、将来の夢、どちらも日本語で「夢」と呼び、英語では「dream」と呼ぶ。
それは何故なのだろう。
まだ調べていないけど不思議に思っている。

わたしの睡眠時にみる夢は、大抵過去の嫌な記憶から構成される。
しかもただ嫌な記憶ではなく、不完全燃焼で終わった記憶だ。
それ故、じぶんが納得した形で動けたと思っているであろうことに関しては夢に一切でてこない。

夢にでてくるNO.1人物は、中学生の3年間わたしの担任を務めた女性教師だ。

3年目のほとんどを登校拒否したわたしは、約2年間、いま思えば彼女から洗脳を受け、理不尽な主張に異議を唱えることもできず、ただ涙を流した。
そしてその涙すらも「じぶんの力不足だ」と本気で思わされていた。
褒められれば天にも登るきもちで、怒鳴られればこの世の終わりだった。

周りのオトナたちも皆、なにかがおかしいことには気付いていた。
被害者はわたしだけではなかった。
それでも誰も戦えなかった理由は、内申を握られていたからだった。
他の先生たちだって気付いていた。
でも、彼女には恐らく教頭や校長すらも勝てない力があった。

わたしはその頃から、一時たりとも精神が健康だったときがないのだと本気で気付いたのは、前職を休職した時だった。

前前職では主に同性の同僚たちと社長の気に障らないよう最大限の注意を払って過ごし、愛想笑いを続け、土日はほとんどを眠って過ごした。
月曜日、必ずといっていいほど新宿〜四ッ谷間で具合が悪くなり、遅刻の連絡をいれたあとの返信の温度に恐怖した。
週明けに毎度のように具合が悪くなることは、恐らくは仮病と思われた。
車椅子で医務室に運ばれたと話しても、心配してくれるひとはいなかった。

前職では、いままででは考えられないほど実力を評価された。
それがとてもうれしく、その期待に応えられるようにがんばろうと素直に思いながらも、
次は捌かなければならない業務量が尋常ではなく、日に日に思考力が奪われていった。
せっかくこの思考力が評価されたのに、改革していくべきなににも手が付けられないうちに体調を崩した。
わたしへの期待や評価は、会社になんの役にも立てられぬまま、退職を余儀なくされた。
この時も、土日は眠って過ごした。

そうして約10年弱、じぶんが正社員として働くためには、土日は眠ることに徹してコンディションを整えなければならないと勘違いしていた。
それはただの精神からの危険信号だった。
でも、それがわからなかった。
精神が健康だったのは、小学生くらいまでだったから、健康という状態がなんなのかがわからなかった。

流石に、じぶんがひとより物事に敏感であることくらいは理解していた。
だからこそ、多少の犠牲を払わなければマトモな暮らしはできないものなのだと思い込み、それを不調であるとは捉えなかった。

わたしがそうまでして正社員として働いてきたこと、それはある意味「夢」だったのかもしれない。

最終学歴高校中退から、上京後まずはバイトをして、派遣社員として働き、正規登用の誘いを受け正社員になって、高卒認定も取った。
正社員になったとき、奇しくもそれは同学年のひとたちが高校・大学をストレートで卒業して、新入社員として入社する年だった。

遠回りしたけど巻き返せた、と思った。
それはえもいえぬ快感だった。

あんな目にあって、こころはズタボロになり、何年経っても夢にまでみるほどの存在に打ち勝ち、わたしは真っ当に働けている。
相手はわたしの存在などとっくの昔に忘れているだろう、それでも「勝った」と思った。

でもそれは先に書いた通り長くは続かなかった。
いろんな条件が重なった。正直運が悪かったのだとも思う。
それでもやっぱり思うことは「じぶんには無理だったんだ」ということだけだ。

わたしの気質は、どうがんばっても社会に合わないのだ、と。
どんなに仕事ができても、業務をこなすのがはやくても、それ以外の部分で感じるストレスが多すぎて、最終的には破綻するのだ。

そしてまた、夢をみる。
仕事に追われる夢を、ミスをする夢を、まともに話せず去った会社の社長に嘲笑される夢を、あの時何も言い返せなかった中学の担任に、今度こそはと怒鳴り散らす夢を。

わたしにはもう夢はない。
なにもしたいことなどない。
自暴自棄になっているわけではなく、ほんとうになにもない。思い浮かばないのだ。
行きたい場所もない。
どんなちいさなやってみたいこともない。
ここに駄文を垂れ流すことも、唯一活発な脳内を整頓するためでしかない。

ただ、周りのひとたちを哀しませないためだけに存在し続けることだけが、いまのわたしの使命だ。

こんなわたしを、ひとは可哀想だというだろうか。
わたしには健康がわからない。
いつだって、これがふつうだった。
忘れたフリをして、見えないフリをしていた。

わらうことも、話すことも、なにも偽ってはいない。そのときのわたしはいつだってほんとうだ。
それでも、根っこの部分はこんなものだ。

やりたいことをやって、なんのためでも誰のためでもなくたのしそうに生きる夫に嫉妬を抱いた瞬間だってあった。
もうそれもなくなった。
他者がどう過ごそうがどう暮らそうが、わたしがからっぽであることに変わりはない。

いつか、夢をみれるだろうか。
いつか、夢をみなくなるだろうか。
いまはまだ、わからない。

そんな日がくることはもうないのだと希望を捨てることでしか、じぶんを保つことができない。

夢についてです。

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