未来について
カノチャンである。
あらゆるトラブルからPTSD的な状態になり諸々の症状がでてしまったが故、
先日薬の一部を増量したところ、落ち着くどころか脳内があまりに無になってしまいこれまで以上に何も出来ずにいる。
薬を増やすと日中のだるさがでてしまうけどどうする?といわれて、「間違えて死にたくないのでだるくてもいいです」といった。
薬が増えてからは脳内が無なので、実感出来るくらいにはトラブル由来の傷が癒えてきている気はする。
前は乾きはじめてカサブタになるかな?ってくらいの傷口に水をぶっかけられてたのが、キズパワーパッド貼られた感じ。
薬を増やす話も、そうして一度考えることを抑えて、傷が癒えた頃に調整しようという話であった。
それはもちろんその時、病院の先生とも相談してのじぶんの計画だったのだが。
やはりどことなく不安なのだ。
脳になにもないことが。
いまこうして文章を書いていることも、以前とはまったく違う感覚で。
なにもないところから無理矢理文言を生成している感じ。
一時的なもの、といくら思おうが不安だ。
来月のわたしは生きているか、再来月のわたしは生きているか、来年のわたしは、5年後のわたしは生きているか。
中学生のあの頃きっと一度死んだのだろうと思っているわたしは、他人より恐らく死を近くに感じていて、先のことを決めるのがとても怖い。
いまは、年末年始をどこで過ごすかさえ決められなくて保留にしてもらっている。
未来は、誰にでもみな続いていくものだと信じている、それが怖い。
いまの状態が、そのままだったら。
いつどこで、どのタイミングで、死が迫ってくるかわからないのに。
それと同時に、未来が当たり前にやってくるものだと信じてやまないひとたちが眩しい。
その先を当たり前に掴む気で生きている、そしてきっとそれが「普通」だ。
病状が落ち着いて、薬も減って、それでも穏やかに、活力も出てきて……そんな風に過ごせる未来は、ほんとうに来るだろうか。
このぼんやりした頭では、過去についてと同様、未来についても、なんのビジョンも浮かばない。
焦っているかといわれたら、違う気がする。
ただただ不安だ。根がせっかちなのもあると思う。
この文章がとりとめのないものになっているということくらいしか、判断もつかない。
もう、これでいい。
未来についてです。
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