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ニンゲンという動物のバグについて

カノチャンである。

ふと身近にLGBTQ+的な内容の話が入ってきたもので、色々と考えるきっかけとなった。

これから書くことはあくまでなんの負の感情もなくただ思うことであり、
どこかで齧り聞いた情報やらふんわりしたもので構成されるわたしなりの答えだ。

まずニンゲンを「動物」と捉えた時、ニンゲンは繁殖し同族を殖やすという目的が遺伝子レベルで組み込まれているものだと思う。

それを踏まえると、LGBTQ+というのは、(子を為せるカップルは除外となるが)基本的にはニンゲンのバグだ、と思う。

ただ、近年は少子化が問題視されている。
男女の不妊等の理由がない夫婦・カップルでも選択子なし、また経済的理由で子を持たない家庭もある。
わたしはこれも同様にバグなのだと思う。

バグだ、というのは、ニンゲンを「動物」と捉えたときの話だ。

現代日本において、ニンゲンを殖やし、言葉は悪いが「国における駒」を増やすということに対して、いまを生きる一般市民にとってわかりやすいメリットは感じないように思う。

それは現代の日本が急激に発展し、あらゆるサポートは充実しきらないまま、古い価値観と新しい価値観が入り乱れている現状もあり、
また妊娠適齢期とされる年代の男女に、現代的な知恵があるというのが大きい要素なのではないかと考える。

例えば、アフリカの貧困村では子どもが労働力となるため出生率は高いという。
でも、労働力となるその子どもを育てるにはまた1人分お金がかかる。
当たり前のことだ、と思うが、これを当たり前と思うことは恐らく最低限の教育を受けているからこその感想なのだろう。

そしてもうひとつ、戦争が行われている国では自殺率が下がる、というのも目にしたことがある。(情報として定かではないが)
動物は、自分を殺さない。自ら死ぬという概念がないからだ。
そして自分に死が迫った時、なにがなんでも抗うだろう。

基本的には安全なこの国では、精神病が人々を苦しめ自分で自分を殺す。
これも、ニンゲンのバグだ。

貧困も、戦争も、なにひとついいことではない。
ニンゲンはきっともう「動物」という括りで呼んでいいものではなくなっており、命の危機に差し迫った時にだけ「動物」としての本能が動かされるのではないかと思う。

そのくらい、世界は発展した、のではないか。

LGBTQ+はバグ、子なしもバグ、精神病もバグ。
これだけ書くととんでもない批判を買いそうだが、何度も言うとおりこれはニンゲンを「動物」としたときの話で。

ニンゲンはもはや思考をする「ニンゲン」という生物で、それぞれにすきなものきらいなもの、得意不得意があり、世界もそれに応じて発展している。
衣食住以外のただの嗜好品が経済を回すし、ニンゲン以外の動物をおさえて地球を占拠している。(多分)

そうなったとき、「動物としてのバグ」などとんでもなくどうでもよいことだ。
各々がすきに、たのしく人生を歩んで終えていくことだけを考えれば良い。

「動物」としてのニンゲンは終わりに向かうのかもしれないが、それは文明の発展の結果でしかないのではないか。

性差は確実にあるが、体とこころが一致しないことも、同性を愛することも、あるというのだからあるのだ。

子どもを産みたくても産めないひとがいて、子どもを産めるけど産みたくないひともいて、当たり前だろう。

ただひとつ、愛するひとがいればいいなと個人的には思う。
親でも、友人でも、パートナーでも、愛するひとがいることで守られるものがある。
それがなくなったとき、ひとは"無敵のひと"となってしまうから。

わたし個人としては、現状処方されている薬の関係で"妊娠禁忌"といわれているので、しばらくは望めないが近い将来子どもを授かれたら、という気持ちはある。
そうそう、不妊以外にも"妊娠禁忌"というのもあるんですよ。(奇形児が産まれる確率が高くなるらしい)

子どもを授かることも、産むことも、育てることも、自分達に出来るかどうかを考えれば考えるほど遠ざかっていくように感じ、これもまたニンゲンの動物としてのバグだ、と思う。
だから考えることはやめた。正解はない。

長々と書いたが、とにかく思うことはそれぞれがそれぞれに不自由なく、たのしく人生を送れる世界がいいなということ。

都合のいいときに動物になり、ニンゲンになり、ただ気持ちの赴くままに生きるのだ。

まとまりがあるのかないのかよくわかんないめんどくさくなりました。おわり。

画像は龍が如く極の麻雀ミニゲームでイカサマアイテム使って出たアホみたいな役。

ニンゲンという動物のバグについてです。

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